【2026最新】犬用防災グッズおすすめ30選!地震・台風の災害から愛犬を守る避難対策

 

犬用防災グッズおすすめ30選!地震・台風の災害から愛犬を守る避難対策

大雨による土砂災害や河川の氾濫、突然襲ってくる巨大地震など、災害大国と呼ばれる日本。

 

「もし今、大きな災害が起きたら…?」

そう考えたとき、自分の避難準備だけで頭がいっぱいになっていませんか?

 

「ペットとの同行避難」が基本とされている現在ですが、厳しい現実を最初にお伝えしなければなりません。

 

「避難所に行けば、ペットの食べ物やケージもなんとかなるだろう」

もしそう思っているなら、それは大きな間違いです。

実際の避難所では、支援物資として届くのは「人間のための水や食料」が最優先です。犬専用のドッグフードやケージ、ペットシーツなどの物資は、数日〜1週間以上は「一切届かない」と考えておくのが現実です。

 

慣れない環境で愛犬がパニックになって吠えてしまったり、用意された水を飲めずに脱水症状を起こしてしまったり……。

事前の備えがなかったために、避難所で悲しい思いをする飼い主さんは後を絶ちません。

 

大切な愛犬の命を守り、過酷な避難生活を乗り切るための物資を用意できるのは、飼い主である「あなた」だけです。

 

この記事では、「犬と一緒に避難するために本当に必要な防災グッズ」を厳選してご紹介します。

「何から揃えればいいか分からない…」という方のために、これだけ買っておけば一発で安心な「防災リュックセット」の比較から、バラで備えておくべき必需品リストまで、分かりやすく整理しました。

大切な愛犬とあなたの笑顔を災害から守るために、ぜひチェックしてみてください。

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犬用防災グッズが必要な理由|知っておくべき「同行避難」の現実

災害時、ペットは「同行避難」が推奨されています。

ただし、避難所ではペット専用の物資や設備が十分に整っていないことが多く、飼い主が自分で用意しておかないと困る場面が必ず出てきます。

 

例えば…

  • 食事や水が確保できない
  • 周囲の人に迷惑をかけないようトイレ対策が必要
  • 知らない環境で犬が不安になり吠え続けてしまう

こうした状況を想定し、愛犬専用の防災グッズを揃えることがとても大切です。

 

【リスト】犬用防災グッズの必需品12選!避難生活に最低限必要なもの

カテゴリ アイテム ポイント
食事・水 ドライフード(保存食) 3日分以上、長期保存可能なもの
飲料水 ペットボトルやパウチ型、1日500ml程度を目安
折りたたみ式ボウル 軽量・コンパクトで持ち運びやすい
住環境・移動 キャリーケース / クレート 避難所での居場所確保、落ち着く空間に
ペットシーツ トイレ用、吸収力の高いものを用意
ビニール袋(フン処理用) 臭い漏れ防止タイプが安心
健康・安全 常備薬・持病用の薬 獣医師処方の薬は必ず持参
ワクチン接種記録・健康手帳 避難所で提示を求められる場合あり
迷子札・マイクロチップ情報 飼い主連絡先を明記
防寒・快適さ 毛布・タオル 冬や避難所の床冷え対策
アルミシート 軽量で保温性が高い
おもちゃ ストレス軽減、安心感を与える

 

まず迷ったらこれ!犬用防災セット(避難リュック)おすすめ3選

「必要なものを1から自分で揃えるのは大変…」「買い忘れがないか不安」という方は、プロが監修した「犬用避難リュックセット(防災セット)」を1つ用意しておくのが最も安心で近道です。

ここでは、避難生活に本当に必要なアイテムがすべて揃った、実績のある人気防災セットを3つ厳選して紹介します。愛犬のサイズやご予算に合わせて選んでみてください。

防災セット名 特徴 おすすめな人 詳細
【防災のプロ監修】防災ダイレクト ペット防災セット 防炎・防水・防汚素材&夜間も光るプロ仕様バッグ。QR迷子札、折りたたみトイレ、食器、5年保存水など、避難生活に必要なケア用品が網羅された本格セット。

人間の避難リュックを背負いつつ、ペット用も一緒に持ち運びたい方

・災害時に絶対に濡らしたくない・汚したくない方

中身を見る
【専門家監修】アイリスオーヤマ ペット用防災15点セット ペット災害危機管理士が監修した15点。自着性テープ、折りたたみトイレ、食器、防災手帳などがコンパクトなショルダーにまとまり、フードや薬を追加する余裕も十分。

本当に役立つ厳選グッズだけをリーズナブルに揃えたい方

・愛犬の普段のフードや常備薬をたくさん詰め込んでカスタムしたい方

中身を見る
【キャリー一体型】モフレスキューネオ 3WAYペットキャリー 防災18点セット 移動用の優秀な3WAYキャリーの中に、リードや折畳ボウル、ペット用包帯など避難必須の18グッズがすでに内包された、移動・備えがこれ一つで完結する画期的セット。

・小型犬(体重8kg以下)を飼っている方

・避難時に両手を完全に空けたい、または前に抱えて様子を見ながら避難したい方

中身を見る

それぞれのセットに一長一短はありますが、

「色々あって迷う…」という小型犬(8kg以下)の飼い主さんには、迷ったら「モフレスキューネオ」を選んでおけば間違いありません。

 

災害時、一番危険なのは「両手が塞がっていること」です。 人間用の防災リュックを背負い、さらに犬用リュックを持ち、犬を入れたキャリーを両手で抱えて暗闇を逃げるのは、現実的に不可能です。

 

その点、この商品は「リュック型キャリー」と「防災セット」が完全に一体化しています。 普段の通院やお出かけ用のキャリーとして使いながら、いざという時はサッと愛犬を入れ、前に抱っこ(または背負う)するだけで、愛犬も防災グッズもまとめて安全に持ち出せます。 「避難のしやすさ」「実用性」において、現状これ以上のアイテムはありません。

 

①【防災のプロ監修】防災ダイレクト ペット防災セット

 

②【専門家監修】アイリスオーヤマ ペット用防災15点セット

 

③【キャリー一体型】モフレスキューネオ 3WAYペットキャリー 防災18点セット

 

「すでに持っているアイテムがあるから、足りないものだけ個別に買い足したい!」という方は、以下のカテゴリ別おすすめグッズ30選を参考にしてくださいね。

 

カテゴリ別おすすめグッズ30選

犬用防災グッズ必要なもの 食事・水(最低3日分〜1週間分)

長期保存可能なドッグフードやパウチタイプを準備真空パックの水やペット用飲料水もあると安心です。

普段与えてるドッグフードでももちろん大丈夫ですが、鮮度を保つためにも小分けになっているものを別で買って用意しておいた方が良いです。

お試しサイズなどであれば小袋で分けられているので、長期保存しやすく非常食として使いやすいのでおすすめです。

 

おすすめの犬用防災グッズ 非常用ドッグフード

ドライフードやウェットフード、オヤツにトートバッグまで付いた特別なお試しセットで、フード選びに悩む飼い主さんにぴったり、初回限定でおひとり様1つ限りとなっています。

 

アレルギーに配慮した穀物不使用・無添加タイプで、全種類お試し可能なおためしセットとして人気があり、おひとり様1種類につき1回限りとなっています。

 

国産・無添加で全年齢・全犬種対応の安心・安全な自然食セットで、原材料100%開示されており、初めての方にもぴったりの送料無料お試しセットです。

 

子犬から高齢犬まで対応し、涙やけや肥満、アレルギーにも配慮した鶏肉ベースのフードで、抜群の食いつきでリピート率80%、3週間で違いを実感できるスター犬御用達の愛犬喜ぶお試しセットです。

 

無添加・国産のドライフードやフリーズドライフード、ごはんやおやつが入ったお試しセットで、シニア犬から全年齢・全犬種対応、送料無料で1,000円ポッキリとお得に始められる、初めての方にもおすすめの商品です。

 

全年齢対応で魚を主原料にした低アレルゲン・グレインフリーのフードで、涙やけ対策にもおすすめ、初めてのお客様限定で手軽に試せるセットです。

 

国産素材で無添加、使いやすい食べきりサイズのため、愛犬の毎日のごはんに手軽にトッピングできる便利な商品です。

 

国産・無添加・獣医師監修の総合栄養食で、グレインフリーのウェットフードとして、シニア犬や子犬、偏食の愛犬もペロッと完食できるトッピングにも最適なペットフードです。

 

おすすめの犬用防災グッズ長期保存水

新製法・新保存法で水素量1.4ppmを長くキープし、ミネラルゼロ・pH6.5で下部尿路ケアに配慮、犬・猫はもちろんウサギなどにも使え、散歩や旅行など持ち運びにも便利で、4日に分けてあげても安心な高濃度ペット用水です。

 

日本製の動物用保存水で硬度ゼロ、7年保存可能な防災備蓄用ペットウォーターとして、犬や猫などペットの飲料水に安心して使えるケース販売商品です。

 

犬用防災グッズ必要なもの リード・ハーネス・首輪・迷子札

避難所では多くの犬や人がいるため、普段以上に安全性が大事!

リードやハーネスなどは普段から使い慣れているものでOKですが、万が一迷子になった時のために、名前や連絡先を書いた迷子札を必ずつけておくことをおすすめします。

迷子札をまだ用意していない場合は、こちらにおすすめ人気迷子札を載せているので参考にしてくださいね。

 

首輪取り付け迷子札

ブラブラせず無くなりにくい設計で、首輪にピッタリフィットし、名前入れ・名入れが可能なかわいいおしゃれなネームタグで、犬や猫の迷子防止に最適な革・皮レザー製の首輪用迷子札です。

 

今お使いの首輪やハーネスに取り付け可能で、名前入れ・名入れ対応のかわいいおしゃれなネームタグ、革・皮レザー製で軽量・迷子防止に最適な日本製迷子札で、犬や猫の防災グッズとしても安心して使えるアイテムです。

 

タグタイプの迷子札

ジャックラッセルテリアやトイプードル、チワワなど多くの犬種に対応したかわいいイラスト入り迷子札で毛色も選べる24犬種対応!犬グッズとしておしゃれに首輪やハーネスに取り付け可能なアイテムです。

 

防水仕様で文字が滲まず濡れても安心、柴犬やトイプードル、チワワなど全40種類のイラストと6色カラーから選べる人気の迷子札で、首輪に取り付け可能なドッグタグ・ネームタグとしてご自宅用や防災グッズとしても最適な当店売れ筋No.1商品です。

 

ケージ・キャリーバッグ

普段と違う環境の避難所では、愛犬が安心できる居場所を確保することが必須です。

折りたたみ式なら普段収納できて邪魔になりません。メッシュ系の軽量タイプなら、持ち運びもしやすいです。また最近は、キャリーリュックとケージが一体になった便利なものもあるので、チェックしてみてくださいね。

 

柔らかい素材で老犬や子猫も安全に使え、組み立て・収納が簡単で軽量・コンパクトなため室内外やキャンプ・旅行時にも便利に使えるペット用プレイサークルで、多くの購入者から高評価を得ている商品です。

 

拡張スペースと通気メッシュで快適、軽量・防水設計で折りたたみ可能、旅行や通院、避難・防災時にも使える小型犬・猫兼用のペットバッグで、大切な家族と安心してお出かけできる便利なキャリーです。

 

 

犬用防災グッズ必要なもの トイレ用品

ペットシーツ、処理袋、簡易トイレも忘れずに!まとめてセットしておくとおすすめです!避難所ではすぐに処理できないこともあるので消臭系のベットシーツや匂いの漏れにくいポリ袋を用意しておくと匂いに悩まされずに済むので安心です。避難所でののマナーにもつながります

消臭効果のある炭入りペットシーツ

厚みと吸水性に優れ、炭入りで臭いを軽減し、足が濡れにくい点も高く評価されている人気商品で、レギュラー・ワイド・スーパーワイドのサイズ展開があるため愛犬に合わせて選べるのが魅力です。

 

防臭効果のあるマナー袋

医療向け開発から生まれた驚きの防臭力で匂いが全く漏れず、赤ちゃんのオムツやペットの排泄物、生ゴミ処理など幅広く使えて、可愛いデザインや豊富なカラーバリエーションで好評です。

 

飼い主と共通で使える防災グッズ

実は、人間用として販売されている防災グッズの中には、愛犬と一緒に役立つものがたくさんあります。避難生活は人も犬も同じ環境で過ごすことになるので、できるだけ共通で使えるアイテムを揃えておくと効率的で安心です。

 

モバイルバッテリー・ソーラー充電器

災害時は停電でスマホの充電が難しくなることも。情報収集や安否確認のためにも必須です。災害用ラジオやペットカメラなどに使える場合もあるので、容量の大きいものを選ぶのがおすすめです。

 

ポータブル電源(停電時、ケージ用ライトや扇風機にも使える)

ケージ内に設置するライトや小型扇風機、冬場はヒーターなど、愛犬の快適さを守るために大活躍します。車中泊避難を想定している方は特に持っておくと安心です。

 

LEDランタン(夜間の散歩やトイレにも便利)

夜間の停電時はもちろん、避難所や屋外での夜のお散歩・トイレ時にも重宝します。懐中電灯よりも周囲を明るく照らせて、両手が自由に使えるタイプがおすすめです。

 

 

簡易テント(避難所でのプライベート空間の確保に)

避難所では周囲の人や犬の声に敏感になってしまう子もいます。簡易テントがあればプライベート空間を確保でき、犬が安心して休める場所を作れます。

 

 

 

おすすめ

 

あると安心なプラス犬用防災グッズ

  • 普段使っているブランケットやタオル → 防寒や落ち着かせるのに役立つ
  • お気に入りのおもちゃ → 不安を和らげる
  • マナーベルト → 粗相の心配がある子に便利
  • 予備の首輪やリード → 万一の紛失や破損に備えて

 

犬用防災グッズの保管・点検のポイント

防災グッズは「揃えて終わり」ではありません。

年に1回は中身を点検し、賞味期限やサイズを確認!

季節に合わせて中身を入れ替える(夏は暑さ対策、冬は防寒グッズ)

キャリーバッグやリュックにまとめて、すぐ持ち出せる場所に置いておく!

 

 

まとめ:明日来るかもしれない災害の前に、愛犬を守る備えを完了させよう

大雨や地震といった災害は、私たちの都合を待ってはくれません。「明日買おう」「今度準備しよう」と思っている今夜、突然襲ってくるのが災害の恐ろしさです。

何度も繰り返しますが、避難所に行っても愛犬のための物資は一切届きません。

いざという時に愛犬を飢えさせず、パニックから守り、安全に避難生活を乗り切れるかどうかは、今この瞬間のあなたの準備にかかっています。

 

最後に、今回のポイントをおさらいです。

  • 何から揃えるべきか迷うなら: 必要な消耗品から避難用リュックまで一発で揃う【おすすめ防災セット比較表】へ戻って、まずは1つ頼んでおくのが最優先で安心です。

  • すでに持っているアイテムがあるなら: 不足している「長期保存水」や「移動用ケージ」などを、この記事のリストを参考に今すぐ買い足しておきましょう。

 

「あの時、準備しておけばよかった…」と後悔することだけは、絶対に避けたいですよね。 大切な愛犬の命を守れるのは、世界中で飼い主であるあなただけです。

ぜひ今日のうちに備えを完了させて、愛犬との安心な毎日を確保してくださいね。

 

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スティーヴィー・ワンダーとマイケル・ジャクソンは親戚?ジャネットが明かした驚きの関係

スティーヴィー・ワンダーとマイケル・ジャクソンは親戚?ジャネットが明かした驚きの関係

 

マイケル・ジャクソンについて調べていたら、ものすごく気になる情報を見つけました。

 

なんと、スティーヴィー・ワンダーとマイケル・ジャクソンは親戚なんだとか!

 

えっ……知らなかった😳

 

スティーヴィー・ワンダーといえば、「Superstition(迷信)」や「Isn't She Lovely」など、数々の名曲を生み出してきた世界的なミュージシャン。

 

一方のマイケル・ジャクソンも、言うまでもなく世界中で知られる音楽界のレジェンドです。

 

そんな2人が親戚だったなんて、かなり意外ですよね。

 

しかも、この話をしたのはマイケルの妹、ジャネット・ジャクソン本人

 

今回は、スティーヴィー・ワンダーとマイケル・ジャクソンの親戚関係について調べてみました。

 


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スティーヴィー・ワンダーとマイケル・ジャクソンは親戚だった!ジャネット・ジャクソンが告白

 

まず気になるのが、

 

「本当にスティーヴィー・ワンダーとマイケル・ジャクソンは親戚なの?」

 

というところですよね。

 

実は2024年8月、ジャネット・ジャクソンがBBC Radio 2の番組に出演した際、スティーヴィー・ワンダーについて驚きの発言をしています。

 

www.facebook.com

 

ジャネットは、スティーヴィー・ワンダーのことを、

 

「彼は私たちのいとこ」

 

と説明。

 

さらに、母親側の親戚であることも明かしました。

 

これには私もびっくりしました。

 

マイケル・ジャクソンの曲や人生についてはかなり調べてきたつもりだったのですが、まさかスティーヴィー・ワンダーと親戚だったとは……。

 

こういう「知らなかったマイケルのつながり」を見つけると、ますますマイケルについて調べたくなってしまいます😂

 

マイケル・ジャクソンとスティーヴィー・ワンダーが親戚ってすごすぎる!

 

それにしても、改めて考えるとすごいですよね。

 

マイケル・ジャクソンとスティーヴィー・ワンダー。

 

どちらも音楽の歴史に名前を残している、世界的なアーティストです。

 

そんな2人が、実は家族としてつながっていたというのだから驚きです。

 

しかも、2人とも子どもの頃から音楽の世界で活躍していました。

 

マイケルはジャクソン5のメンバーとして幼い頃からステージに立ち、スティーヴィー・ワンダーも幼少期から音楽活動を始めています。

 

「世界的なスターになった2人が、実は親戚だった」

 

と考えると、なんだか不思議な感じがしますよね。

 

マイケルとスティーヴィー・ワンダーは音楽でもつながっていた

 

実は、マイケル・ジャクソンとスティーヴィー・ワンダーには、親戚という関係以外にも音楽を通じたつながりがあります。

 

2人ともアメリカの音楽界を代表するアーティストであり、モータウンとも深い関わりがあります。

 

スティーヴィー・ワンダーはモータウンを代表するアーティストの一人。

 

そしてマイケル・ジャクソンも、ジャクソン5としてモータウンからデビューしています。

 

こうして考えると、

 

「親戚だった」というだけではなく、音楽という同じ世界で活躍してきた2人だった

 

というのも面白いところです。

 

マイケルのことを調べていると、こういうところで他のアーティストとのつながりが見えてくるのも面白いんですよね。

 

ちなみに、2人に関連した曲は以下のような物があります!

 

1. Just Good Friends(ジャスト・グッド・フレンズ)

マイケルのアルバム『Bad』に収録されたポップなデュエット曲です。2人のパワフルな歌声の掛け合いが最高に気持ちいいナンバーです。

 

youtu.be

 

2. Get It(ゲット・イット)

スティーヴィーのアルバム『Characters』で再び実現したデュエット曲です。こちらはデジタルでファンキーな80年代サウンドが全開です。

 

youtu.be

 

3. We Are The World(ウィ・アー・ザ・ワールド)

マイケルとライオネル・リッチーが共作し、スティーヴィー・ワンダーも参加した歴史的なチャリティソングです。豪華なアーティストたちの中でも、2人の存在感は抜群です。

 

youtu.be

 

4. I Can't Help It(アイ・キャント・ヘルプ・イット)

スティーヴィーがマイケルのために作曲した美しいメロウ・バラードです。マイケルの繊細で甘いボーカルが引き立っています。

 

youtu.be

 

5. You Haven't Done Nothin'(悪夢)

スティーヴィーのファンクナンバーです。若き日のマイケルを中心に活躍したジャクソン5が、サビの後ろでカッコいいコーラス("Doo-wop!"など)を聴かせてくれます。

 

youtu.be

 

 

スティーヴィー・ワンダー以外にも親戚がいる?

 

そして、さらに驚くことがあります。

 

ジャネット・ジャクソンが話したのは、スティーヴィー・ワンダーとの関係だけではありません。

 

なんと、トレイシー・チャップマンサミュエル・L・ジャクソンについても親戚だと話しているんです。

 

ちなみに、私はこの2人がどんな人か知らなかったので調べました。笑

 

トレイシー・チャップマンは、アコースティックギターを弾きながら、社会問題や貧困、差別、人間の生きづらさなどを歌うタイプのアーティスト。

 

サミュエル・L・ジャクソンは、アメリカの超有名な俳優です。

 

ただし、親族関係の具体的な系譜までは公表されていないそうなので、それ以上詳しいことは分かりませんでした。

 

ジャネットの話が本当なら、母方には音楽や映画の世界で活躍する有名人が何人もいることになりますね。

 

「マイケルって、こんな人ともつながっていたの?」

 

と、どんどん調べたくなってしまいます。

 

スティーヴィー・ワンダーとマイケル・ジャクソンの血縁関係は?

ここまで調べてみて、私が気になったのが

「じゃあ、実際にどんな親戚関係なんだろう?」ということ。

 

ジャネット・ジャクソンは、スティーヴィー・ワンダーについて「私たちのいとこ」と話していて、母親側の親戚だと明かしています。

 

ということは、マイケルにとっても親戚ということになりますよね。

 

ただ、いろいろ調べてみても、「この人とこの人がこうつながっている」というところまで、はっきり確認できる家系図は見つけられませんでした。

 

なので、今のところは、

「ジャネット・ジャクソン本人が、スティーヴィー・ワンダーは母方のいとこだと語っている」

というところまでを知っておくのがよさそうです。

 

それにしても、ジャネットがさらっと「いとこ」と話していたのにはびっくり!

 

マイケルを調べていると、こういう「えっ、そうなの!?」という発見が次々に出てくるから面白いんですよね。

 

いつか詳しい家系図まで分かったら、ぜひ見てみたいです。

 

マイケル・ジャクソンを調べていたら、意外な親戚関係を発見

 

今回、スティーヴィー・ワンダーとマイケル・ジャクソンの関係を知って、私はかなり驚きました。

 

マイケルについて調べていると、本当に次から次へと「えっ、そうだったの?」という情報が出てきます。

 

今回もまさにそれ。

 

スティーヴィー・ワンダーとマイケル・ジャクソンが親戚?」

 

と思って調べてみたら、ジャネット・ジャクソン本人が「いとこ」と話していたとは……。

 

マイケルとスティーヴィー・ワンダー。

 

どちらも私が知っている大好きな音楽の世界を代表する存在なので、2人にこんなつながりがあったと知ると、なんだか嬉しくなります。

 

しかも、こういう話を知ってからスティーヴィー・ワンダーの曲を聴くと、今までとは少し違って聞こえてくるような気もします。

 


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まとめ|スティーヴィー・ワンダーとマイケル・ジャクソンの意外な関係

 

今回は、スティーヴィー・ワンダーとマイケル・ジャクソンの親戚関係について調べてみました。

 

分かったことをまとめると、

 

  • ジャネット・ジャクソンがスティーヴィー・ワンダーを「私たちのいとこ」と説明している
  • ジャネットによると母親側の親戚
  • この話は2024年8月のBBC Radio 2出演時に語られた
  • ジャネットはスティーヴィー・ワンダー以外の著名人についても親戚だと話している
  • マイケルとスティーヴィー・ワンダーは、親戚関係だけでなく音楽界でも共通点がある

 

マイケル・ジャクソンについて調べていると、本当に知らなかったことが次々と出てきます。

 

今回の「スティーヴィー・ワンダーがいとこ」という話も、その一つでした。

 

何十年も前から世界中で知られている2人なのに、「実は親戚だった」という意外なつながりが今になって話題になるのも面白いですよね。

 

これからもマイケルについて調べていく中で、「えっ、そんな関係があったの!?」という新しい発見があったら紹介していきたいと思います。

 

 

 

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マイケル・ジャクソンのショートフィルム「Ghosts(ゴースト)」とは?あらすじ・見どころを徹底解説!

マイケル・ジャクソンのショートフィルム「Ghosts(ゴースト)」とは?あらすじ・見どころを徹底解説!

 

マイケル・ジャクソンのホラー作品といえば、まず最初に思い浮かぶのは『Thriller(スリラー)』ですよね。

 

でも、マイケルにはもうひとつ、ぜひ知ってほしい作品があります。

 

それが、1996年に制作されたショートフィルム『Ghosts(ゴースト)』です。

 

画像引用元:Michael Jackson au Festival de Cannes, le 8 mai 1997

私もつい最近、この作品のSF(ショートフィルム)を見て衝撃を受けました!!

 

この『Ghosts』という作品は、単なるミュージックビデオではありません。

 

約38分にわたってひとつの物語が描かれ、その中でマイケルが歌い、踊り、複数のキャラクターを演じています。

 

さらに、特殊メイクやCGなどを使った驚きの映像表現も登場。

 

そして、この作品には、あのスティーヴン・キングも関わっています。

 

この記事では、

 

  • Ghostsとはどんな作品?
  • 映画なの?MVなの?
  • Ghostsのあらすじ
  • マイケルは何役を演じている?
  • スティーヴン・キングとの関係
  • Ghostsで流れる3曲
  • 骸骨ダンスなどの映像技術
  • Thrillerとの違い
  • マイケル自身との関係をどう見る?
  • 97年カンヌ映画祭で上映された理由
  • 『Ghosts』は現在どこで見られる?

 

まで、できるだけ分かりやすく紹介します。

 

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マイケル・ジャクソンの「Ghosts(ゴースト)」とは?映画?MV?

 

『Ghosts』は、マイケル・ジャクソン主演のショートフィルムです。

 

1996年に制作され、監督を務めたのは、特殊メイクや特殊効果で知られるスタン・ウィンストン。

 

作品の長さは約38分で、カンヌ国際映画祭の公式ページでも38分の作品として紹介されています。

 

1997年には、カンヌ映画祭の「Special Screenings(特別上映)」でも上映されました。

 

ここで覚えておきたいのが、Ghostsにはフルのショートフィルム版と、そこから映像を抜き出した短いMV版があるということです。

 

日本で「マイケル・ジャクソン Ghosts」と検索すると、短いMVの情報を目にすることがあります。

 

そのため、

 

「Ghostsを見たけど、話が途中で終わったような……」

 

と感じた人もいるかもしれません。

 

それもそのはず。

 

短いMV版だけでは、『Ghosts』の物語や世界観をすべて楽しむことはできないからです。

 

本来の『Michael Jackson's Ghosts』は、音楽だけでなく、物語、ダンス、ホラー、ファンタジー、特殊効果などを組み合わせたショートフィルム。

 

「長いMV」というより、音楽を取り入れた短編映画のような作品と考えると分かりやすいと思います。

 

 

 

マイケル・ジャクソンの「Ghosts(ゴースト)」あらすじ

 

物語の舞台は、少し不気味な雰囲気が漂う屋敷。

 

そこには「マエストロ」と呼ばれる謎めいた男が住んでいます。

 

しかし、町の人々は彼を快く思っていません。

 

ある日、町長は住民たちを連れてマエストロの屋敷へ向かいます。

 

目的は、マエストロを町から追い出すこと。

 

ところが屋敷に入った彼らを待っていたのは、普通では考えられない不思議な出来事でした。

 

マエストロは次々と奇妙なパフォーマンスを見せ、屋敷はいつの間にか幽霊や怪物が現れる不思議な世界へと変わっていきます。

 

そして始まるのが、マイケルならではのダンスパフォーマンス。

 

怪物や骸骨たちが踊り出し、最初は怖がっていた住民たちも、次第にその世界を楽しむようになります。

 

ところが――。

 

最後までマエストロを受け入れようとしない人物がいます。

 

それが町長です。

 

「怖いもの」「理解できないもの」を拒絶する町長と、それを楽しませようとするマエストロ。

 

この対立が、『Ghosts(ゴースト)』の物語を読み解くうえで重要なポイントになっています。

 

 

マイケル・ジャクソンは「Ghosts(ゴースト)」で何役も演じている

画像引用元:MICHAEL JACKSON’S GHOSTS - Go Behind the Scenes at Stan Winston Studio

『Ghosts』の大きな見どころのひとつが、マイケル自身が複数のキャラクターを演じていることです。

 

代表的なのが、

 

  • マエストロ
  • 町長
  • 町長の怪物
  • 巨大な怪物
  • 骸骨

 

など。

 

つまり、作品を観ていると、

 

「えっ、このキャラクターもマイケルなの?」

 

と思う場面が何度も出てきます。

 

特に町長は、普段のマイケルとはまったく違う、体格の大きな人物。

 

衣装や特殊メイクによって、まるで別人のような姿になっています。

 

『Ghosts(ゴースト)』は、歌やダンスだけでなく、マイケルの演技力や変身する表現力にも注目したい作品なんです。

 

 

スティーヴン・キングが「Ghosts(ゴースト)」に関わっている

 

『Ghosts(ゴースト)』を語るうえで外せないのが、スティーヴン・キングです。

 

『IT』『シャイニング』『キャリー』などで知られる、あのホラー作家です。

 

カンヌ映画祭の公式クレジットにも、スティーヴン・キングが脚本として記載されています。

 

さらに制作資料では、企画段階からマイケル・ジャクソンとスティーヴン・キングが作品のコンセプトに関わっていたことが確認されています。

 

また、IMDbでもストーリーのクレジットにマイケル・ジャクソンとスティーヴン・キングの名前が記載されています。

 

こうした背景を知ると、

 

「だからGhostsは、ただのMVではなく映画のような作品になっているのか」

 

と感じる人もいるかもしれません。

 

もちろん、『Ghosts』の魅力はスティーヴン・キングだけで生まれたものではありません。

 

スタン・ウィンストンによる特殊効果や、マイケルの音楽・ダンス・演技が組み合わさることで、独特の世界観が作り上げられています。

 

 

マイケル・ジャクソンの「Ghosts(ゴースト)」で流れる3曲

 

『Ghosts』では、主に次の3曲が登場します。

 

 1.2 Bad

 

まず登場するのが『2 Bad』。

 

アルバム『HIStory』に収録された楽曲です。

 

『Ghosts(ゴースト)』では、マイケルのダンスを存分に楽しめる場面があります。

 

物語が進む中にダンスパフォーマンスが自然に組み込まれているため、単純に曲を流すだけのMVとは違った楽しみ方ができます。

 

2.Is It Scary

 

続いて登場するのが『Is It Scary』。

 

タイトルからも分かるように、「怖がらせること」をテーマにしたような楽曲です。

 

ただ、『Ghosts(ゴースト)』全体を見ると、単純に「怖い」というだけではありません。

 

「人は何を怖いと思うのか?」

 

という問いにもつながっているように感じられます。

 

そして、この曲で登場する骸骨のダンスは、『Ghosts(ゴースト)』を代表する名シーンのひとつです。

 

3.Ghosts(ゴースト)

 

そして作品のタイトルにもなっている『Ghosts』(ゴースト)。

 

この3曲が物語の中に組み込まれていることで、音楽と映像、ストーリーがひとつにつながっています。

 

だからこそ、『Ghosts(ゴースト)』は「3曲のMVをまとめた作品」ではなく、ひとつのショートフィルムとして楽しめる作品になっているんですね。

 

 

「Ghosts(ゴースト)」の映像技術がすごい!マイケル・ジャクソンの骸骨ダンス・特殊効果の秘密

 

『Ghosts』を観るなら、ぜひ注目してほしいのが映像技術と特殊効果です。

 

1996年に作られた作品とは思えないような映像が、次々と登場します。

 

骸骨がマイケルのように踊る!

 

特に印象的なのが、骸骨のダンス。

 

骸骨なのに動きが完全にマイケル。

 

しかも、滑らかな動きでムーンウォークまで披露します。

 

「これ、どうやって撮ったの?」

 

と思いますよね。

 

スケルトンダンスはどうやって作られた?「Ghosts(ゴースト)」の制作工程

実は、このスケルトンダンスには、当時としては先進的だったモーションキャプチャーが使われています。

 

1997年のSIGGRAPHの資料では、スタン・ウィンストンとマイケル・ジャクソンのコラボレーションの目的のひとつとして、マイケルのように踊るアニメーション・スケルトンを作ることが挙げられています。

 

そのために、まずマイケル自身がステージ上でダンスを披露。

その動きをパフォーマンス・キャプチャーで記録し、CGキャラクターであるスケルトンの動きの基礎として使用しました。完成したスケルトンは、実写映像の中に合成されています。

 

さらに、スケルトンの「見た目」にも制作上の工夫がありました。

特殊メイクを担当したPaul Mejiasは、マイケルの頭部をライフキャストして立体的な型を作り、それをもとにスカルを造形。そのスカルが、スケルトンのデジタルモデルを作る際の参考モデルとして使われています。

そしてマイケルの身体にはマーカーを取り付け、その動きをキャプチャー。

記録されたマイケルの動きが、デジタルキャラクターの動きを動かす仕組みになっていました。

 

 

つまり、簡単にまとめると、

① マイケルの頭部をライフキャストしてスカルを造形

② そのスカルをデジタルモデルの参考にする

③ マイケルの身体にマーカーを付けて踊る

④ ダンスの動きをモーションキャプチャーで記録

⑤ その動きをCGスケルトンに反映

⑥ 完成したスケルトンを実写映像に合成

という工程です。

 

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(画像引用元:MICHAEL JACKSON’S GHOSTS – GO BEHIND THE SCENES AT STAN WINSTON STUDIO

 

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(画像引用元:MICHAEL JACKSON’S GHOSTS – GO BEHIND THE SCENES AT STAN WINSTON STUDIO

 

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(画像引用元:MICHAEL JACKSON’S GHOSTS – GO BEHIND THE SCENES AT STAN WINSTON STUDIO

 

1996年の作品で、ここまで「マイケル本人のダンスをデジタルキャラクターに移す」表現を実現していたことには驚かされます。

 

しかも面白いのは、単に「CGの骸骨を踊らせた」のではないこと。

マイケル自身の身体の動きをデータとして取り込み、その動きだからこそ生まれる独特のダンスを、骸骨の姿で再現しているんです。

 

だからこそ、骸骨になっても「マイケルが踊っている」と感じられる。

『Ghosts』のスケルトンダンスが今でも強烈な印象を残す理由は、そこにあるのかもしれません。

 

Digital Domainで行われたモーションキャプチャーの実際の映像もあります。

vimeo.com

 

 


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壁や天井を歩くような不思議な映像

 

『Ghosts(ゴースト)』には、マイケルがまるで重力を無視したかのように、壁や天井を歩いているように見える場面もあります。

 

「どうなってるの!?」

 

と思わされるようなシーンですが、これも映像技術を使った演出です。

 

現実ではありえない動きを映像として成立させる。

 

これも『Ghosts(ゴースト)』の大きな魅力です。

 

 

マイケル・ジャクソンを別人に変えた特殊メイク

 

そして忘れてはいけないのが、特殊メイク。

 

監督のスタン・ウィンストンは、『ターミネーター』などの特殊効果で知られる人物です。

 

そんなスタン・ウィンストンが手がけた『Ghosts』には、さまざまなクリーチャーが登場します。

 

そして、その一部をマイケル自身が演じているというのも驚きです。

 

『Thriller』で見せた変身表現を、さらに発展させたような作品になっています。

 

制作資料を紹介した記事

www.mjvibe.com

 

『Ghosts(ゴースト)』と『Thriller(スリラー)』の違い

 

マイケルのホラー作品として「Thriller(スリラー)」と「Ghosts(ゴースト)」を比較すると、とても面白いです。

 

  Thriller Ghosts
公開 1983年 1996~1997年
監督 ジョン・ランディス スタン・ウィンストン
作品 ミュージック・ビデオ ショートフィルム
ジャンル ホラー+ミュージカル ホラー+ファンタジー+音楽
主な特徴 ゾンビ・狼男 幽霊・怪物・特殊効果
マイケル 主人公・ゾンビ 複数キャラクター
映像表現 特殊メイクなど CG・特殊効果・特殊メイクなど
物語 映画的なMV 約38分のストーリー

 

Thriller(スリラー)」が、ミュージックビデオの歴史を変えた作品だとすれば、「Ghosts(ゴースト)」はそこからさらに物語や特殊効果、CGを組み合わせた映像表現へと広げた作品と見ることができます。

 

同じマイケルのホラー作品でも、見どころはかなり違います。

 

 

「Ghosts(ゴースト)」はマイケル自身のことを描いている?

 

『Ghosts(ゴースト)』を観ると、どうしても考えてしまうのが、

 

「この作品は、マイケル自身のことも描いているのでは?

 

ということです。

 

作中のマエストロは、町の人々から「怖い」「変だ」と見られています。

 

一方で、本人は人々を楽しませようとしている。

 

この構図を見ると、当時のマイケル自身と重ね合わせて考えたくなるのも分かります。

 

実際、マイケルはキャリアの中で、外見や私生活などについてメディアからさまざまな注目を集めていました。

 

そのため、

 

「周囲から理解されない人物」として描かれるマエストロに、マイケル自身を重ねて見る

 

という解釈はできると思います。

 

ただし、

 

「Ghosts(ゴースト)はマイケル本人の人生を描いた作品である」

 

と断定するのは避けたほうがよさそうです。

 

公式が示しているのは、町長と住民たちが謎めいたマエストロと対峙する物語です。

 

なので、

 

「マイケル自身の姿を重ねて見ると、さらに深く感じられる作品」

 

くらいに捉えた方が、よさそうです。

 

 

「Ghosts(ゴースト)」は1997年のカンヌ映画祭でも上映された

画像引用元:Michael Jackson au Festival de Cannes, le 8 mai 1997 

 

『Ghosts(ゴースト)』について知ると、意外に感じる人が多いのが、カンヌ国際映画祭で上映されたことです。

 

私も、記事を書く際に知って驚きました!!

 

『Ghosts(ゴースト)』は1997年のカンヌ映画祭で「Special Screenings(特別上映)」として上映されているんですよね。

 

カンヌ映画祭の公式記録にも「GHOSTS」という作品名が掲載され、マイケルは出演・音楽担当として記録されています。

 

さらに、1997年5月にはマイケル本人もカンヌを訪れました。

 

つまり『Ghosts』は、単なるファン向けのミュージックビデオではありません。

 

映画祭で上映されたショートフィルムでもあるんです。

 

こうした背景を知ると、「Ghosts(ゴースト)は映画なの?MVなの?」という最初の疑問も、少し分かりやすくなりますよね。

 

 

なぜ「Ghosts(ゴースト)」はあまり知られていないの?

 

これだけ見どころの多い作品なのに、『Thriller(スリラー)』ほど一般的に知られていない『Ghosts(ゴースト)』。

 

その理由のひとつとして、長い間、気軽に観られる機会が限られていたことが挙げられます。

 

『Ghosts(ゴースト)』は1997年にVHSで発売されましたが、その後、誰でも簡単にフル作品を観られる環境が長く続いたわけではありません。

 

そのため、

 

「マイケルにGhosts(ゴースト)という作品があること自体知らなかった」

 

という人がいても不思議ではないんです。

 

特に、最近マイケルを好きになった人にとっては、

 

こんな作品があったの!?」

 

と驚く作品かもしれません。

 

ちなみに、私もその1人です。

 

 

『Thriller(スリラー)』だけでは分からない、マイケルの映像表現へのこだわりを知ることができる作品でもあります。

 

 

マイケル・ジャクソンの「Ghosts」はどこで見られる?

 

現在、マイケル・ジャクソン公式サイトにも『Ghosts』のページがあります。

 

ただし、ここで注意したいのが、約38分のショートフィルム版と短いMV版は別物だということ。

 

YouTubeなどで「Michael Jackson Ghosts」と検索すると、さまざまな映像が見つかります。

 

ただ、非公式にアップロードされた映像も含まれているため、視聴するときは公式チャンネルや公式サイトの情報を優先するのがおすすめです。

 

「Ghostsを全部観たい!」という人は、短いMVだけを観て終わりにせず、フルのショートフィルム版を探してみてください。

 

きっと作品の印象が変わると思います。

 

 


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まとめ|「Ghosts(ゴースト)」はもっと知られていいマイケル作品

 

マイケル・ジャクソンの『Ghosts(ゴースト)』は、単なるホラーMVではありません。

 

約38分の物語の中に、

 

  • マイケルの歌
  • 圧倒的なダンス
  • 複数のキャラクターを演じる演技力
  • 特殊メイク
  • CG
  • ホラー
  • ファンタジー
  • スティーヴン・キング
  • スタン・ウィンストン
  • カンヌ映画祭

 

といった、たくさんの要素が詰め込まれています。

 

そして何より面白いのが、1996年に作られた作品なのに、今観ても「これ、どうやって撮ったの?」と思わせてくれること。

 

『Thriller(スリラー)』は知っているけれど、『Ghosts(ゴースト)』は知らない。

 

そんな人には、ぜひ一度観てほしい作品です。

 

私自身、『Ghosts』を初めて観たとき、

 

「これ、30年前の作品なの?」

 

と本当に驚きました。

 

特に骸骨のダンスや、マイケルが別人のように変身していくシーンは必見です。

 

そして、ストーリーを知ったうえでもう一度観ると、

 

「もしかして、この作品にはマイケル自身のことも重ねられているのかな?」

 

と、また違った見方ができるんですよね。

 

怖いだけじゃない。

 

かっこいいだけでもない。

 

マイケル・ジャクソンという表現者の「映像で人を驚かせる」という才能を、とことん楽しめる作品。

 

それが『Ghosts(ゴースト)』だと思います。

 

『Thriller(スリラー)』とはまた違う、マイケルの映像世界を楽しみたい人には、ぜひ観てほしい一本です。

 

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マイケル・ジャクソン関連の記事はコチラ

cocotomiru.hatenablog.jp

 

 

 

 

クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンの関係とは?名曲を生んだ黄金コンビの軌跡

Off The Wall [Analog]

 

クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンの関係とは?

MichaelJackson&QuinceJones


クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソン。

この2人の名前を聞くと、「Thriller(スリラー)」や「Billie Jean(ビリー・ジーン)」、「Beat It(ビート・イット)」など、世界中で知られるマイケル・ジャクソンの名曲を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。

 

実際、クインシー・ジョーンズは、マイケル・ジャクソンの代表的なソロアルバムである『Off the Wall』『Thriller』『Bad』の3作品をプロデュースした人物です。

つまり、クインシー・ジョーンズは単にマイケルの曲を作った人というわけではありません。

マイケル・ジャクソンが世界的なソロアーティストへと飛躍していく時期に、音楽制作の面で大きな役割を果たしたプロデューサーだったのです。

 

そして興味深いのは、二人の関係が最初から「世界的な名盤を一緒に作ろう」と始まったわけではなかったこと。

二人が本格的に仕事をするきっかけになったのは、1970年代後半に制作された映画『The Wiz(ウィズ)』でした。

 

1-1.クインシー・ジョーンズはどんな人物?

クインシー・ジョーンズは、アメリカを代表する音楽プロデューサー、作曲家、編曲家、ミュージシャンです。

マイケル・ジャクソンと出会う以前から、ジャズや映画音楽など幅広い分野で活動していました。

そんな豊富な経験を持つクインシーが、若きマイケル・ジャクソンの中に見つけたものがありました。

 

アメリカ議会図書館(Library of Congress)のインタビューで、クインシーは『The Wiz』で初めて一緒に仕事をした際、マイケルが出演者全員の歌やセリフを把握していたことや、非常に勤勉だったことに感銘を受けたと語っています。

 

当時のマイケルは、すでにジャクソン5のメンバーとして大きな成功を収めていました。

しかしクインシーは、そこで終わらない才能をマイケルの中に感じていました。

クインシー自身も、後のインタビューで、マイケルにはジャクソン5時代にまだ十分に表現されていなかった「もっと深い芸術的なもの」があると感じていたと話しています。

 

1-2.マイケル・ジャクソンにとってクインシー・ジョーンズはどんな存在だった?

一方、マイケルにとってクインシーは、単なるプロデューサーではなかったと考えられます。

『The Wiz』で一緒に仕事をしていた頃、マイケルはクインシーに、自分のソロアルバムのプロデューサーを探してほしいと相談しました。

 

クインシーによれば、マイケルは当時、Epic Recordsとの契約のもとでソロアルバムを制作する予定があり、プロデューサーを紹介してもらえないかと尋ねたそうです。

ところが、クインシーは「誰か紹介しよう」と考えるだけでは終わりませんでした。

 

最終的に、

「自分がプロデュースしよう」

という方向へ進んでいきます。

この決断が、後の『Off the Wall』『Thriller』『Bad』へとつながっていくことになります。

 

1-3.二人は「師匠と弟子」の関係だったの?

クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンの関係を説明するとき、「クインシーがマイケルを育てた」というイメージを持つ人もいるかもしれません。

もちろん、クインシーは経験豊富なプロデューサーとして、マイケルの才能を作品へと引き出す重要な役割を果たしました。

 

しかし、二人の関係を単純に「師匠と弟子」と表現するのは少し違います。

クインシー自身、1982年のインタビューで、マイケルと仕事をする中で重要だったのは、互いに人間として関わり、クリエイティブな関係を築くことだったと語っています。

 

また、クインシーはマイケルについて、非常に好奇心が強く、周囲をよく観察し、さまざまなものを吸収する人物だったと振り返っています。

つまり、

クインシーが一方的にマイケルを導いたのではなく、クインシーの豊富な音楽経験と、マイケル自身が持っていた才能や発想が組み合わさった。

それが二人の強力な関係につながった、と見ることができます。

 

1-4.クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンの関係が生み出したもの

二人の最初の大きな共同作業となったのが、1979年に発表されたマイケルのアルバム『Off the Wall』です。

そして、その後に『Thriller』『Bad』へと続いていきます。

 

この3作品は、マイケル・ジャクソンのソロキャリアを語るうえで欠かせないアルバムです。クインシーはそのすべてでプロデューサーを務めました。

特に『Thriller』では、ポップ、R&B、ロックなどさまざまな要素を取り入れながら、マイケルの歌声やパフォーマンスを最大限に生かした作品を作り上げました。

クインシーは後に、マイケルの声域を考えながら、それを「プロダクションの設計」に組み込んでいったと説明しています。

 

だからこそ、この二人の関係は単なる「プロデューサーと歌手」ではなく、

「マイケル・ジャクソンの才能」と「クインシー・ジョーンズの音楽的経験」が組み合わさった、非常に強力なクリエイティブ・パートナーシップ

だったと言えるでしょう。 

 

では、そもそも二人はどのように出会い、なぜクインシーは若きマイケルの才能に惹かれていったのでしょうか。

次の章では、二人の運命を大きく変えることになった映画『The Wiz』での出会いについて詳しく見ていきます。

 


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マイケル・ジャクソンとクインシー・ジョーンズの出会い

映画『The Wiz』

「クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンは、いつ、どこで出会ったの?」

マイケル・ジャクソンの音楽を知っていくと、そんな疑問を持つ人も多いのではないでしょうか。

実は、クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンが初めて顔を合わせたのは、1978年の映画『The Wiz(ウィズ)』よりも前でした。

クインシー本人によると、マイケルが12歳くらいの頃、サミー・デイヴィス・ジュニアの家で初めて会ったそうです。

ただし、二人が本当の意味でつながり始めたのは、その数年後。

映画『The Wiz』で一緒に仕事をしたことが、二人の関係を大きく変えることになります。

そして、この出会いが後の『Off the Wall』『Thriller』『Bad』へと続く、マイケル・ジャクソンの音楽史に残る共同作業の始まりでした。

 

2-1. 二人が初めて出会ったのはマイケルが12歳の頃

クインシー・ジョーンズは、1987年のインタビューでマイケルとの最初の出会いについて語っています。

それによると、二人が初めて会ったのは、マイケルが12歳くらいの頃

場所は、俳優・歌手として知られるサミー・デイヴィス・ジュニアの自宅でした。

ただ、この時点ではまだ二人が一緒に作品を作る関係ではありません。

クインシーはすでにジャクソン5やマイケルの活躍を知っていましたが、後に自分がマイケルのアルバムをプロデュースすることになるとは、この時には考えていなかったと振り返っています。

出典:1987年 クインシー・ジョーンズ/マイケル・ジャクソン インタビュー

インタビュー全文(Michael Jackson 1987)

つまり、

「12歳のマイケルとクインシーが初めて会った」

ことと、

「二人が音楽的なパートナーとしてつながった」

ことは、別の出来事なんです。

二人の関係が大きく動き出すのは、ここからさらに数年後でした。

 

2-2. 二人を本格的につないだ映画『The Wiz』

1978年、マイケル・ジャクソンは映画『The Wiz』に出演することになります。

『The Wiz』は、ブロードウェイ・ミュージカルを映画化した作品で、『オズの魔法使い』をアフリカ系アメリカ人のキャストによって描いた作品です。

マイケルが演じたのは、かかし(Scarecrow)

そして、この作品の音楽監督を務めたのがクインシー・ジョーンズでした。

ここで二人は、初めて本格的に同じ作品を作る立場になります。

クインシーは後に、「『The Wiz』でマイケルを間近で見るようになって、レコードから受けていた印象とは違う、彼の別の一面を知った」と振り返っています。

出典:Library of Congress/Quincy Jones Interview

クインシー・ジョーンズ本人インタビュー(Library of Congress)

そして、クインシーが特に驚いたのが、マイケルの仕事への向き合い方でした。

 

2-3. クインシーが驚いた「マイケルの仕事への姿勢」

当時のマイケルは、すでにジャクソン5として大スターになっていました。

それにもかかわらず、『The Wiz』の現場でクインシーが目にしたマイケルは、決して「スターだから」と手を抜くような人物ではありませんでした。

クインシーによると、マイケルは朝早くから現場に入り、役のセリフだけではなく、出演者全員の歌やセリフ、ダンスまで覚えていたそうです。

さらに、かかし役のメイクには毎日長時間かかっていました。

クインシーは後年、マイケルについて、

「これほど集中している人を見たことがない」

という趣旨の言葉で、その仕事ぶりを振り返っています。

出典:Library of Congress/Quincy Jones Interview

クインシー・ジョーンズ本人インタビュー(Library of Congress)

1984年の『Billboard』のインタビューでも、クインシーは『The Wiz』の現場でマイケルが他の出演者より何時間も早く来て、セリフや歌、ダンスをすべて把握していたことを語っています。

そして、そんな姿を見ているうちに、クインシーは、

「この若者には、何かもっとある」

と感じるようになったのです。

出典:Billboard 1984年7月21日号

「An Interview With Producer Quincy Jones」(Billboard)

 

 

2-4. マイケルのほうから「プロデューサーを探して」と相談していた

さらに興味深いのが、二人の関係が始まるきっかけを作ったのが、マイケル側からの相談だったことです。

『The Wiz』の仕事をしている頃、マイケルはクインシーに、

「自分のソロアルバムのプロデューサーを探すのを手伝ってほしい」

と相談しました。

マイケルは、Epic Recordsからソロアルバムを出す予定があり、そのためのプロデューサーを探していたのです。

これはクインシー本人が、Library of Congressのインタビューで明確に語っています。

「彼が最初のソロレコードのプロデューサーを探すのを手伝ってほしいと言った」

という趣旨の証言をしています。

出典:Library of Congress/Quincy Jones Interview

クインシー・ジョーンズ本人インタビュー(Library of Congress)

つまり、最初からクインシーが「マイケルをプロデュースしたい」と押しかけたわけではありません。

マイケルがクインシーを信頼して、プロデューサーについて相談した。

そこからクインシーの中でも、少しずつ考えが変わっていきました。

 

2-5. 「ソクラテス」の発音事件

ここで登場するのが、有名な「ソクラテス事件」です。

『The Wiz』のリハーサルで、マイケルはかかし役として、古代ギリシャの哲学者ソクラテスの名前を口にする場面がありました。

ところが、マイケルはその名前を、

「ソークレイツ」

のように発音していたのです。

これはマイケルにとって、単純な知識不足というより、文字では知っていても、その名前を実際に声に出したことがなかったことが理由だったようです。

マイケル自身も後に自伝『Moonwalk』で、この場面について書いています。

マイケルはソクラテスという名前を読んだことはあったものの、発音したことがなかったため、綴りから発音を想像していた、と説明しています。

そして、リハーサル中にその発音を聞いたクインシーが、マイケルに正しい発音をそっと教えました。

出典:マイケル・ジャクソン『Moonwalk』

この出来事はクインシー側からも何度も語られています。

クインシーによると、マイケルが何度か同じ発音をしていたため、

「このままでは癖になってしまう」

と思い、マイケルを脇に呼んで正しい発音を教えたそうです。

するとマイケルは、

「Really?」

と驚いたような反応を見せました。

出典:NPR/Fresh Air・Quincy Jonesインタビュー

Quincy Jones: The Man Behind The Music(Fresh Air)

 

 

2-6. なぜ「ソクラテス」がプロデュースの決断につながったのか?

ここが、このエピソードで一番誤解されやすいところです。

「マイケルの発音をクインシーが直した。それだけでプロデュースすることを決めた」

という話ではありません。

実際には、そこに至るまでの積み重ねがあったのです。

クインシーは『The Wiz』の現場で、すでにマイケルをずっと見ていました。

朝早くから現場に入り、長時間のメイク。

自分のセリフだけではなく、他の出演者のセリフまで覚えている。

歌もダンスも徹底的に覚えている。

そして、すでにスターだったにもかかわらず、仕事に対して非常に真剣だった。

クインシーは、そうした姿を見ながら、「この青年には、まだ音楽的に表現されていないものがある」と感じるようになっていました。

そして、ちょうどマイケル本人から「プロデューサーを探してほしい」と相談を受けていた。

 

そんな状況の中で起きたのが、「ソクラテス」の一件だったのです。

クインシーが見たのは、単なる発音ミスではありません。

間違いを指摘されたマイケルが、

「Really?」

と、まるで本当に知らなかったかのように驚いた。

 

クインシーは、その反応から、マイケルの素直さや純粋さ、そして自分がまだ知らない世界を吸収していく余地を感じたのだと考えられます。

実際、クインシーは後のインタビューで、ソクラテスの発音を教えたときのマイケルの表情が、自分の決断につながったと説明しています。

 

『TIME』に掲載されたクインシーの回想でも、マイケルのその反応を見た瞬間に、

「彼のアルバムをプロデュースしてみたい」

と思ったと語っています。

クインシー・ジョーンズの回想(TIME)

 

つまり、「ソクラテス」はきっかけというより、最後の一押しだったと考えると分かりやすいでしょう。

それまでにクインシーが見てきたマイケルの才能、集中力、仕事への姿勢。

そして、マイケル自身からのプロデューサー探しの相談。

そこにソクラテスの一件が重なった。

 

その瞬間、クインシーの中で、

「この人のアルバムを、自分がプロデュースしてみたい」

という思いが具体的な決断になったのです。

 

 

2-7. クインシーがプロデュースを申し出るも、Epic Recordsは反対

しかし、話はここで簡単には進みませんでした。

クインシーがマイケルのアルバムをプロデュースしたいと考えていることを知ったEpic Records側は、最初から歓迎したわけではありません。

TIMEのインタビューでクインシーは、レコード会社から、

「Quincy is too jazzy(クインシーはジャズ寄りすぎる)」

という反応があったと振り返っています。

当時のクインシーは、ジャズをはじめとする幅広い音楽ジャンルで実績を積んでいた人物。

一方、マイケルはポップスターとしてすでに成功していました。

そのため、

「そんなクインシーにマイケルのアルバムを任せて大丈夫なのか?」

という懸念があったのでしょう。

ところが、マイケルはそこで引き下がりませんでした。

クインシーによれば、マイケルとマネージャーたちはレコード会社側と話し合い、最終的にクインシーがプロデュースすることになりました。

クインシー・ジョーンズの回想(TIME)

そして二人は、最初の共同アルバムとなる『Off the Wall』の制作へ進んでいきます。

 

 

2-8. 『The Wiz』での出会いが『Off the Wall』につながった

こうして振り返ると、クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンの関係は、一つの出来事だけで始まったわけではありません。

12歳の頃の出会い。

『The Wiz』での再会。

マイケルの仕事への姿勢をクインシーが間近で見る。

マイケルがクインシーにプロデューサー探しを相談。

「ソクラテス」の発音をきっかけに、クインシーがマイケルの可能性をさらに強く感じる。

クインシー自身がプロデュースを申し出る。

『Off the Wall』の制作へ。

この流れが、二人の音楽史を理解するうえで非常に重要です。

そして、ここから二人は、ただ「プロデューサーと歌手」という関係では説明できないほどの作品を作っていくことになります。

次の章では、そんな二人が最初に作ったアルバム、『Off the Wall』について詳しく見ていきます。

クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンが作った『Off the Wall』

Off The Wall

『The Wiz』での出会いをきっかけに、クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンは、いよいよ一緒にアルバムを作ることになります。

その最初の作品が、1979年8月10日に発売された『Off the Wall』です。

 

Off The Wall [Analog]

このアルバムは、マイケル・ジャクソンのソロキャリアを語るうえで、絶対に外せない作品です。

なぜなら『Off the Wall』は、後の『Thriller』へとつながる「大人のソロアーティスト、マイケル・ジャクソン」の出発点になったアルバムだからです。

そして、この作品ではクインシー・ジョーンズが単に曲を選んでマイケルに歌わせたわけではありません。

マイケル自身の作曲、ポール・マッカートニーやスティーヴィー・ワンダーとのコラボレーション、そしてクインシーのプロデュースが組み合わさり、それまでのマイケルとは違う音楽を作り上げていきました。 (Grammy)

 

3-1. 『Off the Wall』はマイケルにとってどんなアルバムだった?

『Off the Wall』は、1979年8月10日に発売されました。

マイケルにとっては、ジャクソン5時代の「少年スター」というイメージから大きく変化し、ソロアーティストとしての実力を世界に示した作品です。

当時のマイケルはまだ20歳。

すでにジャクソン5のリードボーカルとして世界的な成功を収めていましたが、ソロアーティストとしては、まだ「マイケル・ジャクソン=世界的スーパースター」というところまでは到達していませんでした。

その状況を大きく変えたのが『Off the Wall』でした。

グラミー賞の公式サイトも、このアルバムをマイケルのソロキャリアにおける大きな転換点として紹介しています。 (Grammy)

出典:The Recording Academy(GRAMMY.com)
Michael Jackson’s『Off The Wall』について(GRAMMY.com)

 

 

3-2. クインシー・ジョーンズは『Off the Wall』で何をしたのか?

ここで知っておきたいのが、プロデューサーの仕事です。

「クインシー・ジョーンズが『Off the Wall』を作った」と聞くと、マイケルの代わりに曲を書いたように感じるかもしれません。

しかし、そうではありません。

『Off the Wall』では、マイケル自身も作詞・作曲に参加しています。

たとえば、アルバムを代表する大ヒット曲、

「Don't Stop 'Til You Get Enough」

はマイケル自身が作詞・作曲した曲です。

マイケル・ジャクソン公式サイトでも、この曲について「Written & Composed by Michael Jackson」、そして「Produced by Quincy Jones」と記載されています。 (YouTube)

つまり、

マイケル=アーティストとして曲を作り、歌い、表現する

クインシー=その才能を一つの作品としてまとめ上げる

という関係だったと考えると分かりやすいでしょう。

もちろん実際の制作現場はもっと複雑ですが、この役割の違いを知っておくと、二人の関係がより理解しやすくなります。

 

 

3-3. 「Don't Stop 'Til You Get Enough」がマイケルの転機に

『Off the Wall』から最初のシングルとして発売されたのが、

「Don't Stop 'Til You Get Enough」

です。

この曲はマイケルにとって非常に重要な意味を持っています。

なんと、ソロアーティストとして初めて全米Billboard Hot 100で1位を獲得。

さらに、この曲によってマイケルは初のグラミー賞を受賞しました。

1980年の第22回グラミー賞で、Best R&B Vocal Performance, Maleを受賞しています。 (Grammy)

マイケルにとっては、

「ジャクソン5のマイケル」から「ソロアーティストとしてのマイケル」へ

大きく踏み出した瞬間だったのです。

そして、この曲にはもう一つ興味深いエピソードがあります。

マイケルは後に、クインシーが自分を信頼して、スタジオで一人で歌うことを後押ししてくれたことに感謝しています。

つまりクインシーは、マイケルの才能を自分が代わりに表現するのではなく、マイケル自身にもっと自由に表現させようとしていたのです。 (YouTube)

 

 

3-4. 「Rock with You」も大ヒット

『Off the Wall』には、もう一つ大きなヒット曲があります。

それが、

「Rock with You」

です。

この曲も全米Billboard Hot 100で1位を獲得しました。 (SME)

「Don't Stop 'Til You Get Enough」がファンキーで躍動感のある楽曲だったのに対して、「Rock with You」はより滑らかで、ロマンティックな雰囲気を持っています。

この2曲だけを聴いても、

マイケルには一つのジャンルだけでは収まらない表現力がある

ことが分かります。

そしてクインシーは、そうしたマイケルの幅広い魅力を一つのアルバムの中に共存させていきました。

 

 

3-5. ポール・マッカートニー、スティーヴィー・ワンダーも参加

『Off the Wall』が面白いのは、クインシーだけではありません。

アルバムには、音楽界を代表するアーティストたちも参加しています。

その中でも特に有名なのが、

ポール・マッカートニー

スティーヴィー・ワンダー

です。

ポール・マッカートニーは「Girlfriend」を提供。

スティーヴィー・ワンダーは「I Can't Help It」を提供しています。

このような一流アーティストとのコラボレーションも、『Off the Wall』の大きな魅力です。

GRAMMY.comも、『Off the Wall』について、マイケル自身の作曲やポール・マッカートニー、スティーヴィー・ワンダーとのコラボレーションなど、複数の音楽的要素を組み合わせた作品だったと紹介しています。 (Grammy)

出典:The Recording Academy(GRAMMY.com)
Michael Jackson’s『Off The Wall』の解説

 

 

3-6. 『Off the Wall』は「4曲連続Top 10」という記録も

『Off the Wall』のすごさは、単に1曲だけがヒットしたことではありません。

このアルバムからは、

  • 「Don't Stop 'Til You Get Enough」

  • 「Rock with You」

  • 「Off the Wall」

  • 「She's Out of My Life」

という4曲がBillboard Hot 100のTop 10に入りました。

GRAMMY.comによると、これは当時、ソロアーティストのアルバムから4曲がBillboard Hot 100のTop 10に入った初めてのケースでした。 (Grammy)

日本のソニーミュージックも、『Off the Wall』について、この4曲が連続してBillboard Hot 100のTop 10に入ったことを紹介しています。 (SME)

出典:ソニーミュージック
『オフ・ザ・ウォール』について(ソニーミュージック)

これはかなり重要なポイントです。

なぜなら、『Off the Wall』は「Don't Stop 'Til You Get Enoughだけがヒットしたアルバム」ではないからです。

アルバム全体から次々とヒット曲が生まれた。

だからこそ、マイケルが一発屋的な存在ではなく、アルバム単位で作品を作れるソロアーティストとして認められていったのです。

 

 

3-7. クインシーとマイケルは、すでに『Thriller』の土台を作っていた?

ここで、『Off the Wall』と『Thriller』の関係も見えてきます。

『Thriller』は1982年に発売され、マイケルの代表作として知られています。

しかし、いきなり『Thriller』が生まれたわけではありません。

クインシー・ジョーンズ自身も、後のLibrary of Congressのインタビューで、

『Off the Wall』によって、マイケルはそれまでの「ティーン向けポップ」の世界を越え、80年代の音楽シーンの頂点へ足を踏み入れた

という趣旨の評価をしています。 (The Library of Congress)

つまり、『Off the Wall』は『Thriller』の前段階というだけではありません。

『Thriller』が生まれるために必要だった、マイケルとクインシーの最初の共同作業だったのです。

クインシーにとっても、マイケルがどんな声を持ち、どんな音楽を好み、どこまで表現できるのかを知る重要な作品になりました。

そしてマイケル自身も、このアルバムを通して、ソロアーティストとして自分がどこまでできるのかを証明していきました。

 

 

3-8. 『Off the Wall』で見えてきた「マイケル×クインシー」の強さ

ここまで見てくると、クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンがなぜ強力なコンビになったのか、少しずつ見えてきます。

マイケルには、すでにジャクソン5時代から培ってきた歌唱力とパフォーマンス能力がありました。

さらに、自分自身で曲を書く力も持っていました。

一方のクインシーには、長年にわたってさまざまなジャンルの音楽に携わってきた経験があります。

その二人が組み合わさったことで、

「マイケルがやりたいこと」

「クインシーが持っている音楽的な経験」

が一つの作品にまとまっていきました。

そして、その結果として生まれたのが『Off the Wall』でした。

このアルバムは、マイケルにとって大きな成功をもたらしただけではありません。

「この二人なら、もっとすごい作品を作れる」

という可能性を示したアルバムでもあったのです。

そして、その「もっとすごい作品」が、3年後に世界を変えることになります。

そう。

『Thriller』です。

 

クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンが『Thriller』を生み出した方法

Thriller

『Off the Wall』で大きな成功を収めたマイケル・ジャクソンとクインシー・ジョーンズ。

二人はそこで終わりませんでした。

次に取り組んだのが、1982年11月30日に発売されたアルバム『Thriller』です。

スリラー

現在では「マイケル・ジャクソンといえば『Thriller』」と思う人も多いでしょう。

実際、アメリカ議会図書館(Library of Congress)は『Thriller』について、マイケル・ジャクソンのポップセンス、優れたミュージシャンたちの演奏、そしてクインシー・ジョーンズのプロデュースが組み合わさった作品であり、音楽業界やその後のポピュラー音楽に大きな影響を与えたアルバムだと評価しています。 (The Library of Congress)

では、この歴史的なアルバムは、一体どのように作られたのでしょうか?

 

4-1. 『Thriller』は『Off the Wall』の次に作られたアルバム

『Thriller』は、マイケル・ジャクソンにとってクインシー・ジョーンズとの2枚目の共同アルバムでした。

前作『Off the Wall』では、

  • 「Don't Stop 'Til You Get Enough」

  • 「Rock with You」

  • 「Off the Wall」

  • 「She's Out of My Life」

などがヒット。

マイケルはすでに、ソロアーティストとして大きな成功を手にしていました。

だからこそ、『Thriller』の制作には大きなプレッシャーがあったはずです。

「前作を超える作品を作らなければならない」

そんな状況の中で、マイケルとクインシーは再びスタジオに入ります。

そして完成したのが、

『Thriller』

でした。

 

公式サイトに掲載されている収録曲は、

  1. Wanna Be Startin' Somethin'

  2. Baby Be Mine

  3. The Girl Is Mine

  4. Thriller

  5. Beat It

  6. Billie Jean

  7. Human Nature

  8. P.Y.T. (Pretty Young Thing)

  9. The Lady in My Life

の9曲です。 (MichaelJackson.com)

出典:Michael Jackson Official Site
Michael Jackson公式サイト『Thriller』

 

 

 

 

4-2. マイケルは『Thriller』で何を目指していた?

『Thriller』の特徴は、アルバム全体を聴くと、曲ごとにかなり雰囲気が違うことです。

「Wanna Be Startin' Somethin'」のようなファンキーな曲。

「The Girl Is Mine」のようなポップソング。

「Beat It」のようなロック色の強い曲。

「Billie Jean」のような独特のグルーヴを持つ曲。

そして「Thriller」のようなホラー映画を思わせる作品。

一つのジャンルにまとめることができません。

これは偶然ではありません。

クインシー・ジョーンズは、さまざまな音楽ジャンルの要素を取り入れながら、マイケルの持っているポップな感覚を一つの作品にまとめていきました。

Library of Congressも、『Thriller』にはディスコの影響を持つ「Billie Jean」、ロック色の強い「Beat It」、そしてタイトル曲「Thriller」など、異なる音楽的要素が含まれていることを紹介しています。 (The Library of Congress)

つまり『Thriller』は、

「マイケルが一つの音楽ジャンルを極めたアルバム」

というより、

「さまざまな音楽をマイケル・ジャクソンという一人のアーティストの作品として成立させたアルバム」

だったと言えます。

 

4-3. 「Billie Jean」は徹底的に作り込まれた

『Thriller』の中でも特に有名なのが「Billie Jean」です。

この曲のレコーディングには、マイケルの尋常ではないこだわりが残っています。

『Thriller』のエンジニアを務めたブルース・スウェディンは、後に「Billie Jean」の制作について語っています。

なんと、マイケルはボーカルを何度も録音していました。

そして、最終的にアルバムに採用されたボーカルは、91テイクの中から選ばれたテイク2だったとスウェディンは証言しています。 (Grammy)

91回も録音して、最終的に使ったのが2テイク目。

これだけ聞くと、

「じゃあ、最初から2テイク目でよかったのでは?」

と思ってしまいますよね。

でも、ここにマイケルの制作姿勢が表れています。

「最高のものを選ぶために、そこまで試す」

ということです。

スウェディンはマイケルについて、彼が非常に完璧主義で、ボーカルを何度も録音していたと振り返っています。 (Grammy)

出典:The Recording Academy(GRAMMY.com)

GRAMMY.com「Michael Jackson's GRAMMY Night 'Thriller': 30 Years Later」

 

 

4-4. クインシーが「もう一度聴こう」と止めたことも

「Billie Jean」の制作では、クインシー自身のプロデューサーとしての判断も興味深いものがあります。

ブルース・スウェディンによると、ミックス作業は非常に細かく行われ、何度も調整が繰り返されました。

そして、クインシー・ジョーンズがスタジオに入ってきたとき、かなり後のミックスを聴くのではなく、初期のミックスまで戻って聴いてみようと提案したそうです。

そこで最初のほうのミックスを聴き直したところ、スウェディンは「これが圧倒的に良かった」と振り返っています。 (Grammy)

ここが、クインシー・ジョーンズのプロデューサーとしての面白いところです。

ただ「もっと音を足そう」「もっと派手にしよう」と考えるのではなく、

「一度、最初の状態に戻ってみよう」

という判断をしている。

音楽制作では、何かを加えることだけが正解ではありません。

時には、

「やりすぎていないか?」

と立ち止まることも重要です。

そして、その判断が「Billie Jean」という世界的な楽曲の完成度を高めることにつながりました。

 

 

4-5. 「Beat It」にはエディ・ヴァン・ヘイレンが参加

『Thriller』を語るときに絶対に外せないのが、「Beat It」です。

この曲はマイケルが作詞・作曲した楽曲です。

そして、そこに強烈なギターを加えたのが、当時すでに世界的なギタリストだったエディ・ヴァン・ヘイレンでした。

Library of Congressも、『Thriller』について「Beat It」におけるエディ・ヴァン・ヘイレンのギター演奏を特筆しています。 (The Library of Congress)

つまり「Beat It」は、単純なポップソングではありません。

マイケルの歌とダンス。

ポップミュージック。

そしてハードロックを代表するギタリストのサウンド。

普通なら、かなり大胆な組み合わせです。

しかし、それを一つの曲として成立させてしまった。

これも『Thriller』の大きな特徴です。

 

 

4-6. 「The Girl Is Mine」ではポール・マッカートニーと共演

さらに、『Thriller』にはポール・マッカートニーも参加しています。

「The Girl Is Mine」でマイケルとデュエットしたのです。

ポール・マッカートニーといえば、元ビートルズのメンバー。

つまりマイケルは、『Thriller』で、

ポップス界のレジェンド

と共演しています。

Library of Congressも、『Thriller』についてポール・マッカートニーが「The Girl Is Mine」に参加したことを紹介しています。 (The Library of Congress)

実は、これは『Off the Wall』から続く流れでもあります。

『Off the Wall』ではポールが「Girlfriend」を提供していました。

そして『Thriller』では、二人が実際に歌うことになります。

 

4-7. 「Human Nature」はマイケルが書いた曲ではない

『Thriller』には、マイケル自身が作った曲だけではありません。

私も、記事を書くうえで調べた際に知って驚きました。

その代表が「Human Nature」です。

この曲を書いたのは、当時TOTOのメンバーとしても知られていたスティーヴ・ポーカロと、作詞家のジョン・ベティスです。

Library of Congressの『Thriller』資料でも、「Human Nature」の作曲者としてSteve PorcaroとJohn Bettisが記載されています。 (The Library of Congress)

一方で、アルバムにはマイケル自身が作曲した曲もあります。

たとえば、

  • 「Wanna Be Startin' Somethin'」

  • 「Beat It」

  • 「Billie Jean」

などです。 (The Library of Congress)

ここからも分かるのは、

『Thriller』は「マイケルが全部自分で曲を書くアルバム」でも、「クインシーが曲を用意してマイケルが歌うだけのアルバム」でもなかった

ということです。

さまざまなソングライターから曲を集め、その中からマイケルに合うものを選び、そこへマイケル自身の楽曲も加えて、一枚のアルバムとして完成させていった。

その全体をまとめたのがクインシー・ジョーンズでした。

 

 

4-8. クインシー・ジョーンズのプロデュースは「引き算」も重要だった

『Thriller』の制作で面白いのが、最終的に何を入れるかだけではなく、何を入れないかも重要だったという点です。

クインシーは2008年のGRAMMY Living Historiesのインタビューで、当時のレコード制作には収録時間という物理的な制約があり、LPの片面を長くしすぎると音質面で不利になるため、アルバムの長さを慎重に考えていたと説明しています。 (Grammy)

現在はストリーミングで何時間でも音楽を聴けます。

でも1982年当時は、レコードという物理的な媒体に音楽を収める必要がありました。

だからこそ、

「この曲を入れたい」

だけではなく、

「アルバム全体としてどう聴こえるか?」

まで考える必要がありました。

この視点も、クインシーのプロデューサーとしての重要な仕事だったのです。

 

 

4-9. マイケルの完璧主義とクインシーの判断力

ここまで見てくると、『Thriller』がなぜ特別な作品になったのかが少し見えてきます。

マイケルは、とにかく細部までこだわる。

何度もボーカルを録音する。

自分の曲だけでなく、他人が作った曲にも深く関わる。

そして、クインシーはその才能を一歩引いたところから見ながら、

「何を残すか」

「何を削るか」

「どんなミュージシャンを組み合わせるか」

「アルバム全体をどうまとめるか」

を判断していく。

つまり、

マイケルの完璧主義 × クインシーのプロデュース能力

が、非常にうまくかみ合っていたのです。

もちろん、二人だけで『Thriller』を作ったわけではありません。

ブルース・スウェディンをはじめとするエンジニア、ソングライター、ミュージシャンなど、多くの人たちの力があって完成した作品です。

だからこそ、『Thriller』は単純に「マイケルとクインシーだけの作品」と考えるより、

マイケルを中心に、クインシーが世界トップクラスの音楽家たちをまとめ上げた巨大な制作チームによる作品

と考えたほうが、その凄さが分かります。

 

 

4-10. 『Thriller』は音楽だけでなく、映像の時代も変えた

そして、『Thriller』が歴史的な作品になった理由は、音楽だけではありません。

「Billie Jean」「Beat It」「Thriller」などの映像作品によって、マイケルはミュージックビデオそのものの存在感も大きく変えていきました。

特にジョン・ランディス監督による「Thriller」のショートフィルムは、それまでの単純な楽曲プロモーションとは異なる、映画のような作品として大きな反響を呼びました。

Library of Congressも『Thriller』がその後のポピュラー音楽だけでなく、レコード産業にも大きな影響を与えたと評価しています。 (The Library of Congress)

つまり『Thriller』は、

音楽だけで世界を変えたアルバムではありません。

音楽、ダンス、映像、ファッション、パフォーマンス。

それらを一つに結びつけたことで、マイケル・ジャクソンというアーティストそのものの価値を大きく押し上げた作品だったのです。

 

 

4-11. クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンの最高傑作へ

『Thriller』は1982年11月30日に発売されました。

その後、このアルバムは世界的な大成功を収め、1984年のグラミー賞では8部門を受賞

現在も音楽史上最も重要なアルバムの一つとして評価されています。 (Michael Jackson ANZ)

そして2007年には、アメリカ議会図書館のNational Recording Registry(全米録音資料登録簿)にも登録されました。 (The Library of Congress)

前作『Off the Wall』で、マイケルとクインシーは「この二人ならすごいものを作れる」ということを証明しました。

そして『Thriller』では、その可能性をさらに押し広げたのです。

ただ、ここで忘れてはいけないことがあります。

『Thriller』の成功は、クインシーだけの功績でもありません。

マイケルだけの功績でもありません。

マイケル自身の才能。

クインシーのプロデュース。

ブルース・スウェディンらエンジニアの技術。

ソングライターたちの楽曲。

そして参加した数多くのミュージシャン。

そのすべてが重なって、『Thriller』という作品が生まれました。

だからこそ、このアルバムは今でも特別なのかもしれません。

 

ここで、クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンが『Thriller』で行ったことをまとめると、

  • 『Off the Wall』に続く2枚目の共同アルバムだった
  • マイケル自身の作曲と外部ソングライターの楽曲を組み合わせた
  • 「Beat It」ではエディ・ヴァン・ヘイレンを起用
  • 「The Girl Is Mine」ではポール・マッカートニーと共演
  • マイケルはボーカルを何度も録音するほど制作にこだわった
  • クインシーは音楽全体をまとめるプロデューサーとして機能した
  • ブルース・スウェディンら、優れたスタッフやミュージシャンも作品を支えた
  • 音楽だけでなく映像やパフォーマンスにも大きな影響を与えた

そして、この『Thriller』の成功によって、「マイケル・ジャクソン×クインシー・ジョーンズ」という組み合わせは、音楽史を代表する黄金コンビとして知られるようになっていきます。

 

『Thriller』の次に何を目指した?クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンの『Bad』

Bad

『Off the Wall』。

そして『Thriller』。

クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンは、2枚のアルバムで世界的な成功を収めました。

特に『Thriller』は、音楽史そのものを変えるほどの大ヒット。

普通なら、

「これ以上、何を作ればいいんだろう?」

と思ってしまいそうです。

ところが、マイケルはここで止まりませんでした。

1987年8月31日。

『Thriller』から約5年ぶりとなるアルバム、『Bad』を発売します。

BAD

そして、この『Bad』が、クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンにとって3枚目にして最後の共同アルバムとなりました。

Michael Jackson公式サイト|『Bad』

では、なぜ『Bad』は『Thriller』とは少し違う作品になったのでしょうか?

その答えを知るうえで、クインシー自身の言葉が非常に重要です。

 

 

5-1. 『Bad』は『Thriller』の約5年後に発売された

『Bad』が発売されたのは、1987年8月31日。

前作『Thriller』の発売は1982年11月30日ですから、実に約5年の間が空いています。

この5年間に、マイケルの人生は大きく変化しました。

『Thriller』によって世界最大級のスターになっただけではありません。

音楽業界における立場も、それまでとはまったく違うものになっていました。

そして、そんな状況で制作されたのが『Bad』でした。

ソニーミュージックも、『Bad』について「『Thriller』に続く待望の新作」と紹介しています。さらに、マイケルにとってEpic Recordsから発売した3枚目のソロ・スタジオ・アルバムだったことも確認できます。 (Sony Music Japan)

 

 

5-2. クインシーは「マイケル自身がもっと曲を書くべき」と考えた

ここが、『Bad』を理解するうえで非常に重要なポイントです。

『Thriller』では、

  • 「Billie Jean」

  • 「Beat It」

  • 「Wanna Be Startin' Somethin'」

など、マイケル自身が作った曲が大きな成功を収めました。

そこでクインシー・ジョーンズは、『Bad』について、あることをマイケルに提案します。

それは、

「今回は、もっと自分自身で曲を書いてみたらどうか」

という方向性でした。

クインシーは後のインタビューで、『Bad』制作について、

「彼がすべての曲を書く、非常に正直なアルバムを作る時期だと思った」

という趣旨の説明をしています。 (Michael Mania Forum)

つまり、『Bad』ではマイケル自身のソングライティングを、これまで以上に前面に出そうとしたのです。

これは非常に興味深い変化です。

 

 

5-3. 『Bad』では11曲中9曲をマイケルが手がけた

そして実際に、『Bad』では11曲中9曲をマイケル自身が手がけています。

ソニーミュージックも、

マイケルは11曲中9曲を自ら手がけ、クインシー・ジョーンズとともにアルバム全体のプロデュースも担当した

と説明しています。 (Sony Music Japan)

これは『Bad』を考えるうえで非常に大切です。

つまり、

クインシーがマイケルのために曲を集めてくる

という形から、

マイケル自身が大量の曲を書き、その中から作品を作り上げていく

という方向へ、より大きく変化したわけです。

しかもマイケルは、単に歌うだけではありません。

アルバム全体のプロデュースにも関わっています。

ここから、マイケルが「歌手」からさらに一歩進んで、自分の作品を自分で作り上げるアーティストになっていたことが分かります。

 

5-4. 「Man in the Mirror」はマイケルが書いた曲ではない

ここで、少し意外な曲があります。

『Bad』を代表する名曲、

「Man in the Mirror」

です。

この曲はマイケル自身が作詞・作曲した曲ではありません。

作詞を担当したのはサイーダ・ギャレット(Siedah Garrett)

作曲はグレン・バラード(Glen Ballard)です。

実は、この曲が『Bad』に入るまでにも、クインシー・ジョーンズが深く関わっています。

クインシーはソングライターたちを集めて、

「自分自身をより良い人間に変えていくような、国際的なアンセムを書いてほしい」

という趣旨の曲を求めました。

そこで生まれたのが「Man in the Mirror」でした。

つまり、『Bad』ではマイケル自身の曲を中心にしながらも、

「この曲はマイケル自身が書いたものではないけれど、アルバムに必要だ」

とクインシーが判断した曲も入っています。

ここにも、プロデューサーとしてのクインシーの役割が見えてきます。

 

 

5-5. クインシーが「Man in the Mirror」を評価した理由

クインシーは後のインタビューで、「Man in the Mirror」について、

「あれはうまくいった」

という趣旨の評価をしています。

そして、『Bad』からは5曲もの全米ナンバーワン・シングルが生まれました。

その5曲とは、

  • 「I Just Can't Stop Loving You」

  • 「Bad」

  • 「The Way You Make Me Feel」

  • 「Man in the Mirror」

  • 「Dirty Diana」

です。

 

ソニーミュージックも、『Bad』が5作連続でBillboard Hot 100の1位シングルを送り出したことを記録として紹介しています。 (Sony Music Japan)

この記録は、当時としては非常に大きなものでした。

そして面白いのは、その中に「Man in the Mirror」が入っていること。

つまり、

マイケル自身が書いた曲だけでなく、他のソングライターが作った曲も、マイケルの代表曲になったのです。

 

 

5-6. 『Bad』には「自分自身と向き合う」テーマが多い

『Bad』というタイトルを見ると、

「悪いマイケル?」

「不良っぽいアルバム?」

と思うかもしれません。

でも、実際のアルバムを聴いていくと、それだけではありません。

「Man in the Mirror」では、自分自身を変えること。

「Leave Me Alone」では、メディアや世間からの干渉。

「Dirty Diana」では、誘惑や人間関係。

「Smooth Criminal」では、犯罪や暴力。

「They Don't Care About Us」は後の作品ですが、マイケルの作品には社会や人間の問題を扱うものも増えていきます。

つまり『Bad』は、単純に「ワイルドなマイケル」を見せるアルバムではありません。

むしろ、

世界的スターになったマイケルが、自分を取り巻く社会や人間関係について、より直接的に表現するようになったアルバム

とも見ることができます。

 

5-7. 『Bad』は音楽的にもさらに幅を広げた

『Bad』には、

  • ポップ

  • ロック

  • ファンク

  • R&B

  • ダンス

  • ソウル

など、さまざまな要素が入っています。

そして、それぞれの曲でマイケルの歌い方や表現も変わります。

 

たとえば「Bad」は攻撃的。

「The Way You Make Me Feel」はファンキー。

「Man in the Mirror」は壮大でメッセージ性が強い。

「Liberian Girl」は幻想的。

「Smooth Criminal」は緊張感があります。

一枚のアルバムなのに、かなり表情が違います。

これは『Thriller』から続いている特徴でもあります。

 

クインシーは、マイケルを一つのジャンルに閉じ込めませんでした。

そしてマイケル自身も、

「自分はこういう音楽しかできない」

とは考えなかったのでしょう。

だからこそ、『Bad』でもさまざまな音楽的アプローチが試されています。

 

 

5-8. 『Bad』は『Thriller』を超えられたのか?

ここで、多くの人が気になることがあります。

「『Bad』は『Thriller』を超えたの?」

という疑問です。

数字だけを見れば、『Thriller』の世界的な記録には及びません。

しかし、『Bad』は決して「『Thriller』に負けたアルバム」ではありません。

むしろ、別の意味で非常に大きな成功を収めました。

 

イギリスのOfficial Chartsによると、『Bad』は1987年9月に全英アルバムチャート1位を獲得し、5週間その座を維持しました。 (オフィシャルチャート)

そして、アメリカでは5曲のナンバーワン・シングルを生み出しました。

これは当時のマイケルにしかできないような、とてつもない記録でした。 (Sony Music Japan)

 

だから、

『Thriller』=世界的な音楽史を変えたアルバム

に対して、

『Bad』=マイケル自身のアーティスト性をさらに強く打ち出したアルバム

と考えると、その違いが分かりやすいと思います。

 

 

5-9. 「Bad」はプリンスとのデュエットになる予定だった

そして『Bad』には、もう一つ有名なエピソードがあります。

それが、

「Bad」をプリンスとのデュエットにする計画

です。

実は「Bad」は、当初マイケルとプリンスが一緒に歌う構想がありました。

Official Chartsも、この曲がプリンスとのデュエットとして予定されていたものの、スケジュールの都合で二人が一緒にレコーディングすることは実現しなかったと紹介しています。 (オフィシャルチャート)

もし実現していたら……。

マイケル・ジャクソンとプリンス。

1980年代を代表する二人のスターが「Bad」で共演していたことになります。

これは音楽史に残る、とんでもないコラボレーションになっていたでしょうね。

 

 

5-10. 『Bad』は5曲連続で全米1位になった

そして『Bad』の凄さを語るなら、やはりこの記録は外せません。

アルバムから発売されたシングルのうち、

5曲がBillboard Hot 100で1位を獲得しました。

  1. 「I Just Can't Stop Loving You」

  2. 「Bad」

  3. 「The Way You Make Me Feel」

  4. 「Man in the Mirror」

  5. 「Dirty Diana」

これは当時の記録でした。

ソニーミュージックによると、この記録はその後25年間破られませんでした。 (Sony Music Japan)

つまり『Bad』は、

「『Thriller』の次だから売れた」

だけではありません。

アルバムそのものに、次々とヒット曲を生み出す力があったのです。

 

 

5-11. そして『Bad』が二人の最後の共同アルバムになった

ここは、クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンの関係を考えるうえで、とても重要です。

『Off the Wall』

『Thriller』

『Bad』

この3枚が、二人が共同で作ったアルバムです。

そして『Bad』が、二人にとって最後の共同スタジオ・アルバムになりました。

その後、マイケルはクインシーと離れ、1991年の『Dangerous』ではテディ・ライリーらと制作することになります。

つまり、『Bad』は単なるヒットアルバムではありません。

マイケルとクインシーの黄金時代を締めくくる作品

でもあったのです。

 

5-12. 『Off the Wall』→『Thriller』→『Bad』で何が変わった?

ここまで3枚を並べると、二人の関係の変化がかなり見えてきます。

『Off the Wall』

マイケルがソロアーティストとして大きく飛躍。

『Thriller』

マイケルとクインシーが世界最高峰の音楽作品を作り上げる。

『Bad』

マイケル自身のソングライティングとアーティスト性がさらに前面に出る。

こう見ると、『Bad』は『Thriller』の単なる続編ではありません。

マイケル自身がより大きな役割を担うようになった作品なのです。

クインシーも、マイケルの才能をただ引き出すだけではなく、マイケル自身が作った楽曲をどうアルバムとして成立させるかを考える立場になっていました。

だからこそ、『Bad』は二人の共同作業の集大成とも言えます。

 

 

5-13. クインシー・ジョーンズがマイケルに残したもの

『Off the Wall』から『Bad』まで。

この3枚を追っていくと、クインシー・ジョーンズがマイケル・ジャクソンに与えた影響が少しずつ見えてきます。

もちろん、マイケルはクインシーと出会う前からすでに才能のある歌手でした。

ジャクソン5時代から世界的スターだったのです。

だから、

「クインシーがマイケルをスターにした」

と表現するのは正確ではありません。

むしろ、

すでに巨大な才能を持っていたマイケルとクインシーが出会い、その才能を3枚のアルバムでさらに大きな形へと発展させていった

と考えるほうが自然でしょう。

そして『Bad』では、マイケル自身が11曲中9曲を手がけ、クインシーとともにアルバム全体のプロデュースにも関わっています。 (Sony Music Japan)

これは、マイケル自身の成長を示す大きな変化だったのではないでしょうか。

 

 

5-14. 3枚のアルバムを作ったからこそ見える二人の関係

『Off the Wall』では、

「マイケルをソロスターとしてどう見せるか」

が重要でした。

『Thriller』では、

「マイケルの可能性をどこまで広げられるか」

が重要になりました。

そして『Bad』では、

「マイケル自身が何を表現したいのか」

がより強く前面に出てきました。

だから私は、この3枚を続けて聴くと面白いと思います。

単純に「どのアルバムが一番好き?」だけではなく、

マイケルがどんどん“自分で作品を作る人”になっていく過程

を見ることができるからです。

そして、その過程には常にクインシー・ジョーンズがいました。

 

クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンの『Bad』を見ていくと、こんなことが分かります。

  • 『Bad』は1987年8月31日に発売
  • 『Thriller』から約5年後のアルバム
  • クインシーとの3枚目、そして最後の共同アルバム
  • マイケルは11曲中9曲を手がけた
  • クインシーはマイケル自身のソングライティングをさらに重視した
  • 「Man in the Mirror」はマイケル作曲ではないが、クインシーが求めたテーマから生まれた
  • 「Bad」は当初プリンスとのデュエット構想があった
  • 『Bad』から5曲の全米ナンバーワン・シングルが生まれた
  • 『Bad』は『Thriller』の単なる二番煎じではなく、マイケル自身のアーティスト性がより強く表れた作品だった

そして、この『Bad』を最後に、マイケルとクインシーの黄金コンビは一区切りを迎えます。


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クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンの関係が終わった理由

QuinceJones&MichaelJackson

『Off the Wall』。

『Thriller』。

『Bad』。

クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンは、この3枚のアルバムを一緒に作りました。

 

そして、その3枚はマイケルのキャリアを代表する作品になりました。

ところが、1987年の『Bad』を最後に、クインシーはマイケルのアルバムをプロデュースしていません。

1991年の『Dangerous』では、プロデューサーがクインシーからテディ・ライリーらへと変わっています。

 

では、いったい二人の間に何があったのでしょうか?

「ケンカしたの?」

「仲が悪くなったの?」

「クインシーがマイケルを見放したの?」

 

実は、これは一言では説明できません。

しかも、「二人が不仲になったから終わった」とだけ書いてしまうと、かなり大事な部分を見落としてしまいます。

 

今回は、クインシー本人の発言や、テディ・ライリーの証言などをもとに、二人が『Bad』を最後に別々の制作環境へ進んでいった理由を見ていきます。

 

6-1. 『Bad』は二人にとって最後の共同アルバムだった

まず事実関係を整理しておきましょう。

クインシー・ジョーンズがプロデュースしたマイケル・ジャクソンのアルバムは、

  • 『Off the Wall』(1979)

  • 『Thriller』(1982)

  • 『Bad』(1987)

の3作品です。

この3枚は、クインシーとマイケルの代表的な共同作品として知られています。

『Thriller』については、アメリカ議会図書館もクインシーのプロデュースとマイケルの才能、そして多くのミュージシャンによる演奏が組み合わさった作品として評価しています。 (The Library of Congress)

そして『Bad』を最後に、クインシーはマイケルの次のアルバム『Dangerous』には参加していません。

ここから二人の制作関係が変わります。

 

6-2. 『Dangerous』ではテディ・ライリーが中心になった

1991年に発売された『Dangerous』で、マイケルが新たに組んだ重要人物の一人が、テディ・ライリーでした。

テディ・ライリーは、80年代後半から90年代初頭にかけて発展した「ニュー・ジャック・スウィング」を代表するプロデューサーです。

そして『Dangerous』では、

  • 「Jam」

  • 「Remember the Time」

  • 「In the Closet」

  • 「Dangerous」

など、テディ・ライリーが関わった楽曲がアルバムの重要な部分を占めています。

テディ自身も、クインシーの後を継ぐことが大きなプレッシャーだったと後に語っています。

 

そして、ここで非常に興味深い証言があります。

テディ・ライリーによれば、制作中の『Dangerous』をマイケルはクインシー本人にも聴かせていたそうです。

 

つまり、

「クインシーとは完全に縁を切ったから、一切関わらせなかった」

というような単純な話ではありません。

むしろマイケルは、クインシーの意見を聞くこともあったのです。

テディ・ライリーは、クインシーについて「マイケルにとって品質管理者のような存在だった」と説明しています。そしてクインシーは完成前の『Dangerous』を聴き、「masterpiece(傑作)」と評価したとテディは証言しています。 (MusicRadar)

これ、かなり重要ですよね。

 

『Dangerous』でクインシーがプロデューサーではなくなったことと、マイケルがクインシーを完全に必要としなくなったことは、同じではないのです。

 

6-3. では、なぜクインシーは『Dangerous』をプロデュースしなかったの?

ここが一番気になるところです。

クインシー本人は、2010年の『The Guardian』のインタビューで、かなり率直に当時のことを語っています。

 

クインシーによれば、彼はマイケルをヒップホップの方向へ進ませようとしていたそうです。

しかしマイケルは、それに対して、

「Quincy doesn't understand the business any more. He doesn't know that rap is dead.」

という趣旨の反応をしたと、クインシー自身が振り返っています。 (ガーディアン)

 

つまり、二人の間には、

「これからマイケルは、どんな音楽に進むべきなのか?」

という考え方の違いが生じていたことが分かります。

クインシーはヒップホップを取り入れようとしていた。

一方、マイケルはクインシーの考える方向とは違う、新しい音を求めていた。

これが、『Dangerous』で制作陣が変わった背景の一つだったと考えられます。

 

 

6-4. 「クインシーは時代遅れだった」と単純に考えていいの?

ここは注意が必要です。

クインシー本人の発言だけを見ると、マイケルがクインシーについて「もうこのビジネスを理解していない」という趣旨の発言をしたことが分かります。

しかし、これをそのまま、

「クインシーは本当に時代遅れだった」

と解釈するのは違います。

 

むしろクインシーは、マイケルにヒップホップを取り入れることを提案していました。

そして、その後『Dangerous』でテディ・ライリーが取り入れたのも、まさに当時の新しいブラック・ミュージックの流れでした。

 

つまり、クインシーが「新しい音楽を嫌っていた」というわけではありません。

問題だったのは、

「新しい音楽をどうマイケルの作品に取り入れるのか」

という方向性だったのではないでしょうか。

 

6-5. マイケルは『Dangerous』で「新しい時代の音」を求めていた

『Dangerous』を聴くと、その変化はかなりはっきり分かります。

『Thriller』や『Bad』とは違う。

ドラムの音。

ベース。

シンセサイザー。

リズム。

そしてニュー・ジャック・スウィングの影響。

 

テディ・ライリー自身も、クインシー時代の音をそのまま再現するのではなく、自分のスタイルとクインシーのスタイルを組み合わせたと語っています。

さらに、

「We didn't want to sound like another Thriller.」

という趣旨の発言もしています。

 

つまり制作側も、

「もう一度『Thriller』を作る」のではなく、「別のものを作る」

ことを意識していたのです。 (soulandfunkmusic.com)

これは『Dangerous』を理解するうえで、とても重要です。

 

6-6. クインシー自身も「マイケルにクビにされた」と語っている

一方で、クインシー本人は後年、かなりストレートな表現もしています。

2010年の『The Guardian』のインタビューでは、

「Then Michael fired me」

と語っています。

日本語にすると、

「それからマイケルが私をクビにした」

という意味です。 (ガーディアン)

これだけを見ると、

「やっぱりケンカ別れだったんじゃないの?」

と思いますよね。

 

ただ、クインシーは同じインタビューの中で、二人は最後まで友人だったとも話しています。

さらに、マイケルが亡くなる前にロンドン公演のチケットを大量に売り上げた際、マイケルから電話があったことも語っています。

 

つまり、

仕事上の関係は終わったけれど、二人の人間関係まで完全に壊れたわけではなかった

と考えるのが自然です。 (ガーディアン)

 

6-7. 「クインシーが自分の功績を取りすぎた」とマイケル側が感じていた?

もう一つ、後年の資料で出てくる重要な話があります。

クインシーとマイケルが別々の道を歩むようになった理由として、

マイケルの周囲が、クインシーが作品への功績を取りすぎていると感じていた

という説明です。

 

『Q』でクインシー自身が語った内容を紹介したRolling Stoneの記事でも、この点が触れられています。記事では、クインシーがマイケルとの関係が終わった背景について、周囲の人間がクインシーに過大な功績が与えられていると考えていた、と説明しています。 (Rolling Stone Australia)

 

また、2017年の『Los Angeles Times』のインタビューでも、クインシーは二人が『Bad』の後に決裂した背景について、マイケルが彼を「old and out-of-touch(古く、時代についていけない)」と感じていたと話しています。 (Los Angeles Times)

ただし、ここは「マイケル本人がこう言った」と断定しないほうがいい部分です。

後年のクインシーの回想や第三者による説明が混ざっているからです。

そのため、

「マイケルがクインシーを嫌いになった」

と断定するより、

二人の間では、音楽の方向性や制作上の主導権について考え方の違いが生じていた

と表現するほうが、より事実に忠実です。

 

6-8. 実は『Dangerous』でもクインシーの影響は消えていない

ここが個人的には一番面白いところです。

クインシーが『Dangerous』をプロデュースしていない。

だからといって、

『Dangerous』からクインシーの影響が完全に消えたわけではありません。

テディ・ライリー自身が、クインシーを非常に尊敬していました。

 

インタビューでは、

「I want to be like Quincy Jones.」

という趣旨の発言までしています。

 

さらに、テディはクインシーのスタイルをそのままコピーするのではなく、自分のスタイルとクインシーのスタイルを頭の中で組み合わせたと説明しています。 (soulandfunkmusic.com)

 

つまり、

クインシーからテディへ完全にバトンタッチした

というより、

クインシーが築いたものを土台にしながら、新しい世代のサウンドを加えた

と考えるほうが近いのです。

 

6-9. そしてクインシーは『Dangerous』を認めていた

これも非常に面白い事実です。

もしクインシーとマイケルが完全な敵対関係になっていたのなら、

「自分が関わっていないアルバムなんて知らない」

となっても不思議ではありません。

 

ところが、テディ・ライリーの証言によると、クインシーは完成前の『Dangerous』を聴いて、

「masterpiece」

と評価したそうです。

そして、

「ready to come out」

 

つまり「もう発売できる」と言ったとされています。 (MusicRadar)

これはかなり大きいですよね。

自分がプロデュースしていない。

しかも、自分の後を引き継ぐ若いプロデューサーが作った作品。

それでもクインシーは、その作品を認めていた。

少なくともテディ・ライリーの証言からは、そんな二人の関係が見えてきます。

 

6-10. マイケルはクインシーを完全に切り捨てたわけではなかった

さらに、テディ・ライリーの証言にはもう一つ興味深い部分があります。

テディによると、マイケルは制作が長引く中で、クインシーに『Dangerous』を聴かせていたそうです。

 

つまりマイケルは、

「もうクインシーとは関係ないから、意見も聞かない」

という状態ではありませんでした。

 

むしろ、長年一緒に作品を作ってきたクインシーの耳を、ある意味で最終チェックのように利用していたのです。 (MusicRadar) 

 

これを考えると、二人の関係はかなり複雑です。

仕事としては別れた。

でも、

「この人なら自分の音楽をどう聴くのか?」

という信頼は残っていた。

そんな関係だった可能性があります。

 

6-11. では、二人は「不仲」だったのか?

ここまでの内容をまとめると、私は、

「二人は不仲になったから別れた」

と一言で説明するのは少し違う気がします。

 

確かに、

  • マイケルとクインシーの音楽的な方向性に違いが出てきた

  • マイケルは新しいプロデューサーを求めた

  • クインシー自身も「マイケルが自分をクビにした」と表現している

  • クインシー側には、マイケルや周囲との間に考え方の違いがあった

という事実はあります。 (ガーディアン)

 

でも同時に、

  • マイケルは『Dangerous』をクインシーに聴かせていた

  • クインシーは完成前の『Dangerous』を高く評価したとテディが証言している

  • クインシーは後年もマイケルとの関係を語っている

  • クインシー自身が二人は最後まで友人だったと話している

という事実もあります。 (MusicRadar)

 

だから、

「仕事上のパートナー関係は終わった。でも、二人の人間としての関係まで完全に消えたわけではなかった」

と考えるのが、あらゆる資料から見える姿に一番近いのではないでしょうか。

 

6-12. なぜマイケルは新しいプロデューサーを必要としたのか?

そして、もう一つ忘れてはいけないのが、時代そのものが変わっていたことです。

『Off the Wall』が発売されたのは1979年。

『Thriller』が1982年。

『Bad』が1987年。

そして『Dangerous』は1991年。

約12年の間に、音楽業界は大きく変化しました。

ヒップホップがさらに大きな存在になり、ニュー・ジャック・スウィングのような新しいサウンドも登場しました。

 

テディ・ライリーは、まさにその新しい時代を代表するプロデューサーでした。

だからマイケルが、

「次は新しい人と、新しい音を作ってみたい」

と考えること自体は、決して不自然ではありません。

 

実際、『Dangerous』はクインシー時代とは違うサウンドを持っています。

そして、それはマイケルが「過去の成功をそのまま繰り返す」のではなく、次の時代へ進もうとしていた証拠とも言えるでしょう。

 

6-13. クインシーとの別れは、マイケルにとって「自立」でもあった

私はここが、この二人の関係を考えるうえで一番重要だと思います。

クインシーとマイケルの3枚は、あまりにも偉大でした。

だからこそ、

「クインシーがいなければマイケルは成功できなかった」

と思われることがあります。

 

でも、実際のマイケルは『Bad』の時点ですでに、自分で大量の曲を書き、制作にも深く関わっていました。

そして『Dangerous』では、クインシーなしで新しいサウンドを作り、大ヒットさせています。

つまり、

クインシーとの共同制作を終えたことは、マイケルにとって「クインシーから離れる」だけではなく、「自分自身の力で次の時代を作る」という意味も持っていた

のではないでしょうか。

 

6-14. 二人の関係を「終わり」だけで見るのはもったいない

『Bad』を最後に、クインシーとマイケルは同じアルバムを作らなくなりました。

でも、

『Off the Wall』

『Thriller』

『Bad』

という3枚が残りました。

そして、その後の『Dangerous』を作ったテディ・ライリーでさえ、クインシーの影響を意識していました。 (soulandfunkmusic.com)

さらにクインシー自身も、完成前の『Dangerous』を聴いて高く評価したとされています。 (MusicRadar)

 

そう考えると、

クインシーからマイケルへの影響

だけではなく、

クインシーが築いた音楽的な土台を、マイケルがさらに別の方向へ発展させていった

とも言えます。

二人の共同制作は終わりました。

でも、その影響まで終わったわけではなかったのです。

 

6-15. 二人の関係は「ケンカ別れ」ではなく、それぞれの次のステージへ進んだ

ここまでの内容を整理すると、クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンが『Bad』を最後に一緒にアルバムを作らなくなった背景には、複数の要素があったと考えられます。

 

① マイケルが新しいサウンドを求めた

『Dangerous』ではテディ・ライリーをはじめとする新しい世代のプロデューサーを起用しました。

② 音楽的な方向性に違いが生まれた

クインシーはヒップホップを取り入れることを考えていましたが、マイケルとの間には、その方向性について考え方の違いがありました。 (ガーディアン)

③ マイケル自身が制作の中心になっていた

『Bad』の時点で、マイケルは自分で多くの曲を書き、アルバム制作にも深く関わっていました。

④ それでも二人の関係が完全に壊れたわけではない

『Dangerous』をクインシーに聴かせていたというテディ・ライリーの証言や、クインシーが完成前の作品を高く評価したという話があります。 (MusicRadar)

 

そして何より、クインシー自身が後年、

「Michael fired me」

と表現しながらも、二人は最後まで友人だったと語っています。 (ガーディアン)

 

だから私は、この二人の関係を、

「クインシーとマイケルは仲違いして終わった」

とだけ説明するより、

「3枚のアルバムを通して最高の音楽を作り上げた二人が、それぞれの音楽的な次のステージへ進んでいった」

と捉えるほうが、ずっと実像に近いと思います。

 

そして何より興味深いのは、クインシーと別れた後のマイケルがどうなったのかということ。

『Dangerous』ではテディ・ライリーという新しい才能と組み、「Jam」「Remember the Time」「In the Closet」など、それまでとは違うサウンドを生み出しました。

つまりマイケルは、クインシーとの成功を「再現」するのではなく、それを土台にして、新しいマイケルを作ろうとしたのです。

 

 

二人の関係から分かるマイケル・ジャクソンの凄さ

QuinceJones&MichaelJackson

クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソン。

二人が一緒に仕事をした期間は、決してマイケルのキャリア全体から見れば長いものではありません。

それでも、

『Off the Wall』
『Thriller』
『Bad』

という3枚のアルバムを残しました。

そして、この3枚はマイケルのキャリアを語るうえで欠かせない作品になっています。

 

では、なぜこの二人の組み合わせは、これほどまでに特別だったのでしょうか。

ここからは、二人の出会いや作品、そして関係の変化を見てきたからこそ分かる、マイケル・ジャクソンというアーティストの凄さを改めて考えてみたいと思います。

 

 

7-1. 世界的なプロデューサーと組んでも「マイケルらしさ」を失わなかった

クインシー・ジョーンズは、マイケルよりもはるかに長い音楽キャリアを持つプロデューサーでした。

ジャズから映画音楽、R&B、ポップスまで幅広い音楽を経験してきた人物です。

そんなクインシーと組んだことで、マイケルはさまざまな音楽的要素を吸収していきました。

 

しかし、重要なのは、

クインシーの音楽にマイケルが合わせたわけではない

ということです。

『Off the Wall』でも『Thriller』でも『Bad』でも、そこにあるのは間違いなくマイケル・ジャクソンの音楽です。

クインシーの豊富な経験を取り入れながらも、最終的にはマイケル自身の個性が作品の中心にあります。

これは、アーティストとして非常に重要なことではないでしょうか。

誰かから影響を受ける。

でも、自分自身を失わない。

むしろ、

他人の才能を吸収することで、自分の表現をさらに大きくしていく。

マイケルには、そんな柔軟さがあったのだと思います。

 

 

7-2. マイケルは「歌う人」ではなく、自分の作品を作る人だった

マイケルというと、どうしても歌やダンスのイメージが強いですよね。

でも、ここまで3枚のアルバムを見てくると、それだけでは説明できないことが分かります。

マイケルは自分で曲を書き、メロディーを考え、歌い、そして作品全体について意見を出していました。

 

たとえば『Thriller』では、

「Billie Jean」

「Beat It」

「Wanna Be Startin' Somethin'」

など、マイケル自身が作曲に関わった楽曲が収録されています。

 

つまりマイケルは、完成した曲を渡されて歌うだけの存在ではありませんでした。

自分自身で音楽を生み出す側だった。

ここが非常に大きなポイントです。

しかも、それを世界最高峰のプロデューサーであるクインシーと一緒に行っていた。

クインシーが持っている知識や経験を利用しながら、自分のアイデアを作品にしていく。

その姿勢こそ、マイケルが単なる「スター」ではなく、アーティストだったことを示していると思います。

 

 

7-3. 「もっと売れる曲」ではなく「もっと良い作品」を追求した

マイケルの凄さを考えるとき、もう一つ見逃せないのが、作品に対するこだわりです。

『Thriller』は結果的に世界的な大ヒットになりました。

しかし、最初から「世界一売れるアルバムを作ろう」と考えていたから成功した、と単純に説明することはできません。

むしろ制作現場では、

「この音でいいのか?」

「この歌い方でいいのか?」

「もっと良くできないか?」

という細かな部分を突き詰めています。

エンジニアのブルース・スウェディンが、マイケルのレコーディングへの徹底した姿勢を語っていることからも、それが分かります。

 

つまりマイケルにとって重要だったのは、

売れることだけではなく、自分が納得できる作品を作ること。

その積み重ねが、結果として世界的な成功につながっていったのではないでしょうか。

 

 

7-4. 常識にとらわれず「音楽の見せ方」まで変えた

マイケルの凄さは、音楽そのものだけではありません。

音楽をどう見せるか

という部分まで変えてしまいました。

その象徴が『Thriller』のショートフィルムです。

 

当時、ミュージックビデオは現在ほど「作品」として扱われていたわけではありません。

そこにマイケルは、映画のようなストーリーとダンス、衣装、演出を組み合わせました。

「曲を宣伝する映像」ではなく、

一つの楽曲を、一つのエンターテインメント作品にしてしまった。

これもマイケルの大きな功績です。

そして、その発想は後の音楽業界にも大きな影響を与えました。

 

 

7-5. クインシーと組んだからこそ「自分の才能の使い方」を広げられた

ここで改めてクインシーとの関係に戻ります。

マイケルには、もともと素晴らしい歌唱力やダンス能力がありました。

しかし、それだけでは『Thriller』のような作品にはなりません。

 

クインシーには、

  • 楽曲を見極める経験

  • ミュージシャンをまとめる力

  • アレンジやサウンドへの知識

  • アルバム全体を一つの作品として考える視点

がありました。

 

マイケルには、

  • ダンス

  • 作曲

  • パフォーマンス

  • 独自のアイデア

  • 強烈な探究心

がありました。

 

この二人が組んだことで、それぞれの才能がさらに引き出されました。

だからこそ、この関係から見えてくるマイケルの凄さは、

「一人ですべてをやった」ということではありません。

 

むしろ、

自分にはない才能を持つ人と組み、その力を吸収しながら、自分自身の作品に昇華できたこと。

そこにあるのだと思います。

 

 

7-6. クインシーと別れた後もマイケルは進化し続けた

二人の関係を考えるうえで、もう一つ重要なのが『Bad』の後です。

クインシーとの共同制作は『Bad』まででした。

その後、マイケルは新しいプロデューサーたちとともに『Dangerous』『HIStory』『Invincible』などの作品を作っていきます。

 

ここから分かるのは、

マイケルにとってクインシーは「いなければ何もできない存在」ではなかった

ということです。

 

もちろん、クインシーがマイケルの音楽キャリアに与えた影響は非常に大きかったでしょう。

しかし、マイケルはクインシーとの3作品を完成させた後、自分自身の音楽をさらに別の方向へ進化させていきました。

これは、ある意味でクインシーとの共同制作が、マイケルにとって一つの大きな成長の過程だったとも考えられます。

 

 

7-7. 「クインシーが凄かった」だけでは説明できない

『Off the Wall』『Thriller』『Bad』があまりにも凄い作品だからこそ、

「クインシー・ジョーンズが優秀なプロデューサーだったから成功した」

と考えてしまうこともあるかもしれません。

もちろん、それは間違いではありません。

でも、それだけでは説明できません。

 

クインシー自身がマイケルの才能について、「私がこれまで見たことがないほどの才能」と語っていることからも分かるように、マイケル自身が非常に特別なアーティストでした。

 

つまり、

クインシーが凄かった。

そして、

マイケルも凄かった。

その二人が同じ時代に出会い、同じ作品に向き合った。

それが『Off the Wall』『Thriller』『Bad』という歴史的な3枚につながったのではないでしょうか。

 

 

7-8. マイケル・ジャクソンの凄さは「才能の多さ」だけではない

ここまで見てくると、マイケルの凄さは単に、

「歌が上手い」

「ダンスが上手い」

「曲が作れる」

という能力の多さだけではないことが分かります。

 

本当に凄かったのは、

それらを一つの作品としてまとめることができたこと。

そして、

自分とは違う才能を持った人から学び、それを自分の表現へ変えていったこと。

さらに、

一度成功しても、そこで満足せず、新しい表現を追求し続けたこと。

なのではないでしょうか。

クインシー・ジョーンズとの仕事は、そのことを非常によく表しています。

 

 

7-9. クインシーとの関係から見えるマイケルの本当の凄さ

クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソン。

この二人の関係を追っていくと、改めてマイケルというアーティストの凄さが見えてきます。

 

マイケルは、ただ才能に恵まれていただけではありません。

自分の才能を理解し、それをさらに伸ばすために、優れた人たちと仕事をした。

そして、クインシーから学んだものを吸収しながら、自分自身の音楽へと変えていった。

だからこそ、二人が作った作品は、クインシーの作品でもあり、マイケルの作品でもある。

 

そして何より、

「クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソン」という二人だからこそ生まれた音楽

だったのだと思います。

 

 

 

まとめ|クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンの関係は音楽史に残る黄金コンビ

MichaelJackson&QuinceJones

クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソン。

二人が一緒に音楽を作ったのは、『Off the Wall』『Thriller』『Bad』の3作品です。

けれど、この3枚を振り返るだけでは、二人の関係の本当の凄さは分からないのかもしれません。

 

クインシーには、長年の音楽活動で培った経験と、アーティストの才能を作品として形にする力がありました。

一方のマイケルには、自分の中にある音楽を追求し続ける才能と、常識にとらわれない発想がありました。

その二つが出会ったことで、時代を超えて聴き継がれる音楽が生まれた。

それが、この二人の関係の一番の凄さなのだと思います。

 

そして興味深いのは、二人の関係が終わった後も、マイケルが新しい音楽へ進み続けたことです。

クインシーはマイケルにとって、成功するために必要だった「唯一の人物」ではありませんでした。

マイケル自身が、さまざまな才能を吸収しながら、自分の音楽を作り続けていった。

だからこそ、クインシーとの3作品も「クインシーが作ったマイケルの名盤」ではなく、

クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソン、二人の才能が交わったからこそ生まれた作品

として、今も特別な存在なのではないでしょうか。

 

何十年経っても『Off the Wall』『Thriller』『Bad』が聴かれ続けていること。

それこそが、二人が残した音楽の凄さを何より物語っていると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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